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筑波大学アメリカ文学会は、〈知識のコズモロジー〉プロジェクトと連動して研究会や評論出版などを行っております。〈知識のコズモロジー〉プロジェクトにおいて、これまで取り組んで来た、知識史とその枠組みの再考という作業を、Literary Studiesとの接点からも捉え直すことにより、「アメリカ文学」の枠組みを超えた学術研究の場を提供して行きたいと望んでおります。
●前史時代
英文学でも英米文学でもなく、アメリカ文学という独立した講座は、筑波大学の前身である東京教育大学時代にさかのぼる。記憶に間違いがなければ、文学部文学科アメリカ文学専攻という名前だった。1977年の筑波移転にともなって、アメリカ文学も独立を保った形で移行したが、多くの旧教育大教員は転任しなかった。
●筑波第1期
初期の筑波大学では、アメリカ文学は文芸・言語と地域研究で教えられていた。このうち、文芸・言語の講座を中心に設立されたのが東京教育大学・筑波大学アメリカ文学会(のちに筑波大学・東京教育大学アメリカ文学会、そして筑波大学アメリカ文学会)であり、その機関誌として創刊されたのが『アメリカ文学評論』である。
当時は大学院生も多数在籍していたので、研究会は年に3度開催、『アメリカ文学評論』も年に1冊出版というスケジュールだった。雑誌の購読層は他大学の文学専攻の教員・院生・学生と想定しており、毎回の特集は古典的作品の輪読、特別寄稿者を含む10人ほどで論じる形式となっていた。第1号『白鯨』、第2号『武器よさらば』、第3号『緋文字』、第4号『響きと怒り』、第5号『アーサー・ゴードン・ピムの冒険』、第6号『ハーツォグ』、第7号『偉大なるギャッツビー』、第8号『ライ麦畠でつかまえて』、第9号『アメリカ人』、第10号のジョン・バース特集というラインアップは、昔の文学史の教科書かクリフ・ノーツのようでもある。また、岩元巌先生のご尽力もあって、成美堂が編集販売で協力をしていた。
●筑波第2期
この時期の特徴は、大学院生数の減少であり、キャノンの見直しと方法論の模索であった。 第12号〈メルヴィル没後100年〉や第16号〈フォークナー生誕100年〉にまだ大作家中心主義の名残は残るものの、第13号〈自伝〉、第14号〈アメリカ〉、第15号〈ファミリー〉は、1980年代からアメリカで盛んになった文化研究やイデオロギー分析の影響を受けた企画であった。
けれども、新しい研究方法論の登場と呼応して、いわゆる旧来の〈文学〉プロパーの研究をめざす大学院生が減り、研究会の回数を減らし読書会の開催に変えたり、雑誌の発行頻度を見直したりする必要が出てきた。
●筑波第3期
〈知識の枠組み〉という概念を導入し、特集を「英語では1語でも日本語に訳すとたくさんの意味を持つ単語」に焦点を当てる形にした。この結果が第17号〈ネイチャー〉、第18号〈ヒストリー〉、第19号〈インストゥルメント〉、第20号〈マップ〉、第21号〈ネットワーク〉、第22号〈デザイン〉であり、しだいに異分野との交流が活発となっていった。ちなみに、〈デザイン〉は筑波大学プレ戦略イニシアティブ「〈知識のコズモロジー〉、あるいは〈わかる〉とはどういうことか」というプロジェクトとの共同研究の成果である。次号の特集も、この時に培った人脈を活用して〈ライフ〉とする予定になっている。
大学院をめぐる状況は、決して楽観できるものではない。経済状況から、大学院進学よりも就職を望む学部生が増えた。文部科学省の「大学院教育の充実化」にしたがって、多くの大学が大学院を併設することになり、数少ない進学希望者には選択肢が増えたかわりに、筑波大学でも大学院生を確保するのが難しくなった。大学院生が増えたにもかかわらず、大学のポストはむしろ減っている。教員の人員削減に伴って、退職者の後任人事が進まないのだ。大学や大学院改組にともなって、「アメリカ文学」という従来の分野も見直しを迫られている。けれども、だからこそ、いま、多くの〈わかる〉/解釈を許容できる文学研究を守っていく必要があるだろう。筑波第4期は、これから続く人たちのために拓かれる。(鷲津浩子)
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