筑波日本語研究 第八号

2003年11月30日発行

坪井 美樹

男手,女手,表記様式,性差,ジェンダー規範

要旨

平安貴族社会では、漢字または仮名による表記様式の分類に「性差」が導入され、漢字を真仮名として用いた表記様式が「男手」と呼ばれ、仮名(平仮名)による表記様式が「女手」と呼ばれた。このような命名は、平安貴族たち自身にも「男手・女手」をそれぞれ「男・女が相互排除的に使用する表記様式」のような意識を生んだ。しかし、当時の貴族たち自身の言語使用の実態においては、男も女もともに漢字・仮名による表記様式両方が必須のものであったのであり、当時の表記様式をめぐる〈ジェンダー規範〉のあり方をそのまま当時の〈使用の実態〉として考えるのは誤りである。「漢字・仮名」それぞれを用いる二つの表記様式が、当時の平安貴族社会における、〈男性=公に関わる主たる存在〉対〈女性=公に関わらない従たる存在〉という社会的性差と結びつき、その結果として「男手・女手」のような命名がなされたのであり、男女どちらが使ったかということが命名のよってきたる「本源」なのではない。

井本 亮

意味的修飾,副詞的修飾,事象構造,「ケーキを小さく切った」,強要

要旨

本稿では,修飾をめぐる論点を整理するとともに,ひとつの言語現象を挙げ,その現象が提起する問題について考察する。近年の論考によって,従来の修飾の概念には統語・意味・機能の観点が混在していること,修飾限定が修飾対象に対する集合論的操作であることなどが指摘されている。しかし「ケーキを小さく切った」などの副詞的修飾関係は,従来の概念規定だけでは捉えきれない問題を示唆している。このことから,本稿では,修飾関係が修飾対象の意味的性質の更新を動機づける力を持つ,動詞文の意味に関する重要な役割を担う構文関係であるという見方を提示する。

川野 靖子

位置変化動詞,副詞句,結果構文,ニ格,場所

要旨

状態変化動詞がサマの変化を表すのに対し、位置変化動詞は対象の存在位置の変化を表し、サマの変化は含意しない。そのため位置変化動詞は、状態変化動詞とは異なり、結果の副詞句をとりにくいという特徴をもつ。しかし実際には、位置変化動詞であっても、「壁に写真を大きく飾った」「山に雪が白く積もった」のように、結果の修飾関係を構成している例がみられる。

本稿では、位置変化動詞が結果の修飾関係を構成するのはどのような場合か(現象の成立条件)、そしてなぜそうした現象が成立し得るのか(現象の背景)という点を中心に分析を行った。その結果、上記の現象は副詞句が存在のあり方を表す場合(ex.壁に写真を大きく飾った)と内的属性を表す場合(ex.山に雪が白く積もった)の2つに分かれること、そして、前者の場合は存在のあり方と位置変化の意味との馴染みやすさが、後者の場合は当該の文にみられる発生構文との類似性が、結果の修飾関係を可能にしていることが明らかになった 本稿の分析は、位置変化と状態変化の峻別という基本的な立場を保持したまま当該の現象が説明できることを示したものであり、変化動詞の包括的記述に寄与するものである。

宮城 信

連続動作,修飾,副詞的修飾成分,くりかえし,次々に

要旨

日本語の連続動作(いわゆる反復を含む)表現は、repetitionやsuccessionなどの下位タイプを持っている。副詞的成分は、被修飾部分に付随する補助的な成分として扱われてきが、実は、連続動作の意味解釈に重要な役割を担っている。連続動作の表現は、修飾成分の意味概念と被修飾部分の素性が相補的に支え合って成立している。本稿では、連続動作に関わる副詞的成分と被修飾成分それぞれについて考察し、その意味と機能分担を明らかにした。また、これまでパラレルに位置づけられてきたrepetitionとsuccessionが異なるレベルの単位動作で成り立っていることを明らかにした。これらの考察をうけて、連続動作に関わる副詞的成分の機能が(修飾)限定だけではなく新たな意味を付け加えていることから、「修飾すること」の意味の再検討の必要性を主張する。

任 利

かしら,男女差,自問表現,丁寧さ,小説の文体

要旨

本稿では明治初年から現在までに発表された小説を用い、終助詞「かしらん>かしら」という語形変化の流れの中での男女の使用差を調査した。昭和前期頃に語形が「かしら」に定着するとともに、女性的な表現として定着していることが分かった。また、明治後期の男女の使用差を考察したところ、明治後期の作品では、女性の発話に丁寧体と共存して終助詞「かしら」を使用する用例が多く見られた。これは、直接的な問いかけや依頼を避け、柔らかな丁寧さを示しており、明治以後形成された発話の仕方における男女差の反映と見られる。小説の世界では、明治後期から「かしら」を使用する女性のステレオタイプが形成され、大正期・昭和期をへて、現在に至り「かしら」が女性的表現として定着してきたと考えられる。

永田 里美

否定疑問文,行為要求表現,「ヌカ」,「ナイカ」,「マイカ」

要旨

本稿は否定疑問文「動詞+マイカ」と「動詞+ヌカ/ナイカ」について、行為要求表現という観点から、中世末期~近世後期における資料をもとに考察を行ったものである。

狂言台本虎明本(1642年)における行為要求表現は「動詞+マイカ」を用いることが一般的であり、「動詞+ヌカ」の使用は僅少な例にとどまる。しかし近松の浄瑠璃作品(1703~22年)では勧誘用法以外の行為要求表現に「動詞+ヌカ」の形式を用いる傾向が強まる。さらに近世後期の『東海道中膝栗毛(1802年)』に至っては行為要求表現を広く「動詞+ヌカ/ナイカ」が覆うという傾向がみられ、「動詞+マイカ」という形式自体は江戸語や上方語からは消えてゆく。

動詞+マイカ」と「動詞+ヌカ/ナイカ」との間にみられる分布の移り変わりは「ヌ」のテンス・アスペクト上の意味変化に関わりがあると考えられる。

福嶋 健伸

条件表現,状態表現,~テアレバ,~テアラバ,進行態

要旨

本稿は、中世末期日本語の~テアルの条件表現である、~テアラバと~テアレバを考察対象とし、主に~テアレバに重点をおいて議論を進め、以下の2点を指摘する。

  1. ~テアラバは仮定条件を表し、~テアレバは確定条件を表すという使い分けがはっきりとしている。特に~テアレバの例に関していえば、多くの例が偶然確定条件を表していると解釈できる。この~テアレバの傾向は、一般的な動詞の「已然形+バ」と異なるものであり、両者を分けて考える必要がある(少なくともまとめて扱うには議論が必要である)。
  2. 中世末期日本語の~テアレバには、状態表現(進行態や既然態)として解釈できない例がある 本稿の②の指摘は、当時の~テアレバを解釈する際には無条件に状態表現として解釈するわけにはいかない、ということを意味している。その結果、当時の~テアルにおいて、具体的な動きのある進行態を表している確例は、発話に関係する例に限定されるようになることも併せて述べる。

劉 玲

漢語オノマトペ,固有オノマトペ,AA(ト)型,二次的存在,一次化

要旨

本稿は、漢語オノマトペ(古典中国語に出自するもの)の代表的なパターンの一つであるAA(ト)型(「颯々(ト)」「悠々(ト)」など)に注目して、その使用状況について奈良・平安期から近世初期頃にかけての八種の資料(31文献)を使用して歴史的に概観した。計158語633例を得た。そのうち、21語(延べ390例)が各時代の多くの文献に現れ、古辞書類に掲載されているように、AA(ト)型の受容が進んでいることを指摘できる。また、こうした漢語オノマトペは、漢字表記が介在しているため、純粋に音象徴によるという基準で考える時に固有オノマトペとは同一視できず、二次的存在であること、そしてそのうち固有オノマトペの音形パターンに合致しているものは、次第に使用者にとって漢語でなく固有オノマトペと意識されるようになり、一次化(固有オノマトペへの合流)が生じることについて論じた。

祝本狂言集について(2)-狂言記・他台本との比較から-

大倉 浩

祝本狂言集,狂言用語,近世的改変,接続形式「~うば」,「仕舞ばしら」

要旨

『祝本狂言集』は、成立年代や筆者はともに不明ながら、流派分化以前の狂言の姿を残す貴重な台本と見られる。

前稿に引き続き祝本の六つの曲について他の狂言台本と比較した。内容面で全体的に近似した狂言台本は見いだすことは出来なかったが、部分的には和泉流天理本との類似だけでなく、天正本と関連するような「ぶす」、これまでには見られなかった鷺流保教本との類似が見られる「賽の目」「雁礫」など多様であった また、用語の面では、近世初期の虎明本・天理本と共通する語法(「な」、感動詞「じや」、接続形式「うば」など)が確認できた。さらに、虎明本・天理本にない「仕舞ばしら」「つれまい」「めぎららぎ」など、狂言記と共通するような近世的な用語も見られた。