筑波日本語研究 第七号

2002年08月31日発行

坪井 美樹

母音変化型活用,語尾添加型活用,意志・推量の助動詞ヨウ,完了の助動詞リ,動詞音便形

要旨

日本語動詞活用において、母音変化型活用[四(五)段活用]は後接する接辞類と融合する傾向を示し、語尾添加型活用[一段活用、二段活用]は逆に後接する接辞類と融合しようとせず、自らの語形を固定的に維持しようとする。この傾向は日本語史上、動詞・助動詞の形態や接続に関する変化の幾つかに、その変化の方向を決定する力として働いている。助動詞ウからヨウが分出される理由、完了の助動詞リ・タリの変遷、動詞連用形音便形が母音変化型活用動詞にしか生まれなかった理由など、いずれもこの動詞活用型の持つ性質の現れとして説明することができる。

冨樫 純一

「まあ」,談話標識,心的操作,処理過程,曖昧性

要旨

談話標識「まあ」の諸用法を観察し、「まあ」の持つ本質的な機能について検討した。「まあ」が現れる現象を観察した結果、情報そのものではなく、その情報が導出される処理過程と密接な関わりがあることが認められた。さらに、「まあ」の現れる位置、および独り言で使用可能な点を考慮すると、「まあ」の本質的機能は「処理過程の曖昧性を標示する」ものと捉えることができる。

また、聞き手への働きかけを示す「まあ」については、本質的機能からの派生、「曖昧性」が及ぼす効果と説明することで、「まあ」の統一的な位置付けが可能となることを示した。

井本 亮

副詞的修飾関係,修飾限定,意味範疇,集合,要素

要旨

副詞的修飾研究における理論的側面は現象の記述的研究に比べて立ち遅れているが,先行研究の言説に重要な示唆が含まれていることも確かである。本稿では,先行研究の知見を集積し,副詞的修飾関係の成立に関わる修飾・被修飾成分間の意味的関連性,修飾限定における被修飾成分の素材概念の範疇性という性質を抽出し,このふたつの性質の概念規定を集合論の観点から再規定する。

張 根壽

副詞,必ず,共起,事態,確率

要旨

本稿は多様な用法を持つ副詞「必ず」を対象に、その共起条件と基本的意味を記述したものである。従来、「必ず」の共起条件に関しては、述語が状態性か非状態性かという問題の指摘にとどまり、文全体の意味を考える試みはあまりなされてこなかった。しかも、「必ず」は「きっと」との類義性が強調されすぎてきたため、頻度や確率の意味を表す副詞との連続性という問題が等閑視されてきたという問題もある。本稿では、このような問題点を指摘した上で、次の二点を主張する。第一に、「必ず」の共起条件は、従来の述語レベルの分析だけでは不十分であり、「事態」という概念を導入することによって、統一的な記述が可能である。第二に、従来「必ず」の基本的意味は、「確率(習慣・反復)」に求められてきたが、習慣や反復は副詞の意味ではなく、「必ず」が現れた文全体の問題である。「必ず」の基本的意味は、「事態が存在・実現する確率がほぼ100%である」と規定できる。

李 淑姫

抄物,条件,階層,已然形バ,ホドニ

要旨

『応永二十七年本論語抄』は15世紀初に書写された抄物のさきがけといわれるものである。抄物とともに中世日本語の口語の代表的資料であるキリシタン資料、狂言台本虎明本とはおよそ二百年の差がある。本稿では、因由形式(必然確定条件形式)の階層という観点から、15世紀初頭の『応永二十七年本論語抄』を調査し、17世紀初頃のキリシタン資料、狂言台本虎明本とどのような違いをみせるのかについて考察した。

『応永二十七年本論語抄』のホドニ句の述部には、キリシタン資料、虎明本よりも推量の助動詞がくる例が少ない。また、『応永二十七年本論語抄』のニヨッテ句、故ニ句の述部に、モダリティの助動詞ベシがくる例が数例みられるが、このような例は17世紀の両資料には現れないものである。キリシタン資料、虎明本には、ホドニ句がニヨッテ句を包含する例だけが現れるが、『応永二十七年本論語抄』には、ニヨッテ句がホドニ句を包含する例も現れる。このような状況から『応永二十七年本論語抄』のニヨッテは、キリシタン資料、虎明本のニヨッテよりも、階層的にホドニに近いといえる。また、口語的因由形式とされるニヨッテであるが、『応永二十七年本論語抄』のニヨッテは、両資料のニヨッテよりも文章語的に用いられていることがわかる。

永田 里美

狂言台本,否定疑問文,行為要求表現,状態,テンス・アスペクト

要旨

本稿は狂言台本虎明本(1642年)を資料に用い、行為要求表現という観点から否定疑問文「動詞+ヌカ」の調査ならびに考察を行ったものである。

現代語において「動詞+ナイカ」が勧誘、依頼、勧奨、命令という行為要求を表す一形式として活発に用いられるのに対し、当該資料にみられる「動詞+ヌカ」は「これまで/現在の状態」を問う例が多数を占めており、行為要求表現の解釈が可能な例は僅少に留まる。「動詞+ヌカ」における行為要求表現の少なさは当代のテンス・アスペクト体系に関連しており、「動詞+ヌカ」が行為要求を表す形式として未だに固定化されていないことを窺わせる。

福嶋 健伸

~タ,主格,主語,有情物,非情物

要旨

中世末期日本語では、終止法で状態を表している~タがある。従来の研究では、このような~タの主格名詞に関して有情物の例があるということは、事実上、指摘されているが、有情物の例に限定されているか否かという観点からの言及は曖昧なままであった。そこで、本稿では、この問題に明示的な結論を出すために、終止法で状態を表している~タに関して、格助詞「ガ」で表示されている主格名詞が、有情物か非情物かを調査した。また、同一資料中の~テイル・~テオルにも同様の調査を行った。本稿の調査から、終止法で状態を表している~タの主格名詞には非情物の例もあることがわかり、また、~テイル・~テオルの主格名詞には非情物の例がないことが確認できた。このことから、主格名詞の有情物/非情物に関する分布は、終止法で状態を表している~タと、~テイル・~テオルとで明確に異なっているといえる。