筑波日本語研究 第三号

1998年10月31日発行

橋本 修

「伝える」,「述べる」,補文標識,「の」,「こと」

要旨

動詞「伝える」・「述べる」のとる「こと」補文・「の」補文の間には、以下のようなふるまいの違いがある。

  1. 「伝える」の「の」補文の方が、「述べる」の「の」補文よりも許容度が高く、特に否定文においては「の」補文が完全に許容される。
  2. 「伝える」の「こと」補文には叙実性がある(あるいは濃い)が、「述べる」の「こと」補文には叙実性がない(あるいは薄い)

このa,bの現象は連動している可能性が高く、「伝える」「述べる」のそれぞれとふるまいを共有する動詞も多い。

又平 恵美子

三河方言,文末形式,イントネーションの型,終助詞「よ」,ノダ文,聞き手めあて性,禁止表現,質問,疑問,自問

要旨

本稿は三河地方の現代の方言の文末形式について、記述的研究をおこなう。本稿でとりあげたものは、

  1. 「に」
  2. 「ん」…「かん」「だかん」「だん」
  3. 「やぁ」…「やぁ」、「かやぁ」「だかやぁ」「だやぁ」、「さやぁ」

である。これらについて意味・機能、聞き手めあて性の高低、形態、用法について、疑似標準語と対照しながら検討する。

冨樫 純一

後置,従属節,情報構造,information flow,会話の含意

要旨

後置表現というカテゴリーに「従属節の後置」を含めることができる。本稿では先行研究をふまえつつ、従属節の後置に関する分析を行う。いわゆる単純な要素後置と違い、従属節後置は事態と事態のつながりであること、またそのため後置表現の語用論的な捉え方が複雑になっていることが指摘できる。

結論として、従属節後置は以下のように分析できる。

  1. 解釈に負担がかかる場合、(認知的順序に関わらず)不自然になる
  2. 情報面の性質として、
    1. 後置節はある程度の情報の強化を行なうことが原則となる
    2. (a)はinformation flowの原則から導き出されるものである
    3. 従属節後置には「結びつきの弱さ」という語用論的機能が認められる
    4. (c)から、後置節には何らかの「会話の含意」が存在すると言える

従属節の後置には統語上の制約の他に、information flowの原則による情報構造レベルでの制約が存在する。さらには、「会話の含意」の存在が後置節に何らかの重要さ(有標性)を与えていると考えられるのである。

松本 哲也

指示語「この」「その」,照応,名詞並立,集合,トピック連鎖,認知制約

要旨

先行文脈の2つの名詞のうちの一方を後続文脈で「この」「その」により照応すると不自然になるという現象については、田中(1981)が指摘して以来、考察されていない。この現象は、「Aト/ヤB…」のような形式だけでなく、「A、B…」のような名詞句の並立、「Aホカ/タチ/ナド(数量詞)」のような形式でも見られる。本稿ではこの現象を、「集合内要素を「この」「その」により直接照応すると不自然になる」と一般化し、その原因を「集合」から「集合の要素」へのトピック転換の不自然さによるものであると結論する。

さらに観察を進めると、統語的には集合内要素であるにも関わらず、名詞句の情報量が増えると、「この」「その」による照応が比較的自然になる、という現象が認められる。この現象には、集合の各要素の情報量が増えると、集合として結束的に認知される度合いが低くなることが関わっていると考えられる。そこには、文脈情報処理の時間軸に沿った線状性、および、短期記憶が保持する情報量の少なさ、という2つの認知制約が反映していると言うことができる

李 淑姫

虎明本,接続助詞,ホドニ,ニヨッテ,包含関係,階層

要旨

狂言台本虎明本の原因・理由を表す接続表現形式には、ホドニ、ニヨッテ、トコロデ、アイダ、ニヨリ、ユエニなど、多様な形式が使われている。先行研究ではおもに文体的側面からこれらの形式を個別的に考察してきた。本稿では、これらの形式間に一定の包含関係が成立することに注目し、この包含関係がそれぞれの形式の階層性によっていることを明らかにした。その結果、ユエニ、ニヨリ、ニヨッテは文の構造上、内側の階層に属し、トコロデ、ホドニ、アイダは外側の階層に属するということがわかった。本稿の考察により、虎明本の原因・理由を表す接続形式は、文体差だけでなく、階層をもっており、この階層という観点から体系的に把握できることが明らかになった。

蒋 垂東

ウ段とオ段の区別,イ段とエ段の区別,基礎音系,用字法,訂正

要旨

『日本館訳語』の諸本の内、校正本であるロンドン大学本は音訳の面で他本と異なる独自の用字法が少なからず見られる。本稿では、ロンドン大学本のみに見られるそうした用字法について、

  1. 独自の用字法は徹底されてはいないものの、その多くの用例には、混同しがちなウ段とオ段などの音訳をより明確にするための意図が認められる
  2. 独自の用字法が施された用例には、(1)の意図に反するものも含まれている

という2点を明らかにする。これを通して、ロンドン大学本の一側面を解明する。

奧村 彰悟

江戸語,形容詞,仮定条件表現,打消の助動詞

要旨

一八五〇年以前、江戸語に見られる形容詞の仮定条件表現には、「―くは」「―ければ」が並用されていた。両形のうち、「―くは」となる形容詞がバラエティに富んでいたのに対して、「―ければ」となる形容詞は「ない」「よい」が中心であった。一八五〇年以降、「―くは」が衰退し、「―ければ」が盛んとなることから、一八五〇年頃を境に、「―くは」「―ければ」並用から「―ければ」専用へと変化したことが分かる。これは、打消の助動詞「ない」の仮定条件表現が「ないければ」から「なければ」へと移っていった時期と文献的に一致する 形容詞の仮定条件表現が「―ければ」専用となることで、形容詞の仮定形「―けれ」として、現代日本語へと続く形容詞の活用体系が再構成される。このことは、江戸末期から明治初期にかけて活用体系の整備をしつつあった打消の助動詞「ない」にも影響を与え、仮定条件表現を「ないければ」から「なければ」へと変化させる要因の一つとなった。

 

奈部 淑子

「呼びかけ」,「呼びかけ」のタイプ,説話作品,和文作品,「―コソ」

要旨

本稿は平安時代の説話作品の中に認められる「呼びかけ」の表現形式について、和文作品の場合と比較を行いながら考察し、前稿において提示した「呼びかけ」のタイプと表現形式の対応という観点が、ジャンルを越えて有効なものであることを主張するものである。

説話作品において、三タイプに渡って用いられる「呼びかけ」の表現形式は和文作品とは異なるものが多く、これは説話作品の中に中心的に描かれている社会階層や文体等が異なるためであると考える。一方、ブランクを持つ形式は、その多くが和文作品と共通するものであり、説話作品においても「呼びかけ」のタイプと表現形式の対応という観点は有効であると言え、説話作品における「呼びかけ」のタイプは和文作品と同様に三つであると考えられる。