筑波日本語研究 第二十四号

2020年01月31日発行

馮 元

中国語,列挙助詞,「など」,「(の)ような」,コーパス

要旨

これまでの日本語研究においては、「など」は助詞、「(の)ような」は助動詞として扱われ、同じ軸の上で扱われることはなかった。一方、中国語文法論には並列表現の後に続く“等” や“一类”、“这样”、“之类”などを「列挙助詞」としてまとめる見解がある。列挙助詞というのは、列挙されるものをまとめる、ある種のグループを示す助詞である。この分類を採用することにより、より包括的な対照の枠組みを作ることが可能になると考えられる。また、中国の日本語教育の現場では、このような対照の枠組みの整理が不十分であることから、既存の教材を使った指導だけでは日本語学習者の「列挙助詞」の習得に結びついていないという印象を受ける。本稿では、コーパスを使用して用例を抽出し、考察することにより、日本語では「(の)ような」と比べて「など」の配慮性がやや弱いことを明らかにした。一方で、中国語では、コーパスデータに基づいて、“等”、“这样”と比べ、“之类”、“一类”の配慮性がやや弱いことを明らかにした。

LIU Jian & WU Lin

Japanese Pidgin Chinese, reduplication, The first language acquisition

Abstract

This paper focuses on the descriptions and analysis of reduplication in Japanese Pidgin Chinese (JPC). Reduplication is usually either totally absent or nonproductive and/or without contrasting simple form in pidgins although it is fairly common and even productive in JPC which makes JPC unusual among pidgins. Nouns, verbs and adjectives from both lexifer and substrate can be reduplicated. In this paper, the first language acquisition mechanism reloading is used to interpret the origin of the reduplication in JPC and the research may shed light on the both pidgin and language acquisition devices.

日中ピジンにおける畳語

劉 剣・呉 琳

日中ピジン,畳語,第一言語習得メカニズム

要旨

本稿では、日中ピジン(Japanese Pidgin Chinese)における畳語の記述と分析に焦点を当てている。ピジン言語においていえば、畳語は通常、完全に存在しないか非生産的であるのに対し、日中ピジンには大量に存在し、また生産的である。語源からみれば、日本語からの語彙も中国語からの語彙も畳語になる可能性を持っている。また、品詞の面からみれば、畳語は名詞、動詞、形容詞は行き渡っている。本論文では、第一言語習得メカニズムのリロードという観点を用い、日中ピジンの畳語の特殊性を解釈する。

関口 雄基

自他対応,派生,接辞{-ar-},脱使役化,形容詞派生動詞,degree achievement

要旨

本稿では、〈植わる〉vs.〈植える〉、〈曲がる〉vs. 〈曲げる〉、〈刺さる〉vs. 〈刺す〉のような、{-ar-}型自動詞とそれに対応する他動詞の対を対象に、『日本国語大辞典 精選版』における初出年代を比較し、自動詞が遅れて生まれてくる対と、そうでない対で動詞の意味的特徴に違いがあることを主張する。また、杉岡(2002)の論を中心に、〈温まる〉vs.〈温める〉のような、形容詞派生動詞の対が、典型的な{-ar-}型動詞対とは異なる特殊な性質を持つことについて考察し、主にdegree achievement(程度変化)の側面において、自動詞が遅れて生まれくるタイプと、そうでないタイプの間に違いが見られることを主張する。

大塚 貴史

「みんな」,「全員」,特定性,例外,集合

要旨

「みんな」には、人物の特定性を問題としない、例外の存在を許容することがあるという特徴が見られる。これらの特徴は「全員」には見られないものである。このことは、「みんな」は集団に視点を置くのに対し、「全員」は集団内の個々の人物に視点を置くという相違があることを示唆している。また、この相違を集合の観点から考察すると、「みんな」は「上位集合」の「内包」に注目して部分集合を形成するのに対し、「全員」は「上位集合」の「外延」に注目して部分集合を形成すると言える。

川島 拓馬

文末名詞,文法変化,推定表現,意志表現

要旨

本稿では、「名詞+だ」の形をとる文末形式について、通時的変化の中で形成されたものと、ある時点において共時的に用法が拡張することでそうした表現が生み出されたものとに区別できることを主張する。前者は形式の出現時から徐々に名詞としての性質が失われ一語化していくが、後者は出現した時から既に現代語と同様に助動詞的な性質を有しているという違いがある。筆者がこれまで扱った形式では、「模様だ」「つもりだ」が前者に、「様子だ」「気だ」が後者に相当する。加えて、両者の差が現代語における共時的な名詞の振る舞いの差と関連することを指摘する。前者のタイプでは現代語において名詞としての機能や用法が失われているが、後者のタイプでは名詞として自由に振る舞うことができる。

ヌネス・コスタ・ハイッサ

日葡対照,テンス・アスペクト,期間の同時性,Enquanto節,アイダ節

要旨

本稿では、話し言葉コーパスにおける日本語のアイダ節とブラジル・ポルトガル語のEnquanto節を対照した。本稿の分析ではテンス・アスペクト形式の組み合わせや複文節の意味のスコープに焦点を当て、これらについて日本語とブラジル・ポルトガル語の相違点と共通点を考えた。調査の結果、Enquanto節にはテンス形式の制限がないのに対して、アイダ節にはテンス形式の制限があることが明らかになった。また、文の表す意味の観点からみれば、Enquanto節と比べてアイダ節のほうはスコープが狭いという結果を得た。

劉 玲