筑波日本語研究 第二号

1997年10月31日発行

矢澤 真人

発生構文,位置変化構文,ニ格,語順

要旨

語順調査から、ガ格・ヲ格・ニ格の相互の出現位置を規定してゆくと、場所ニ格をとるニ格他動詞構文は、「主体ガ格→場所ニ格(発生点)→発生物ヲ格→生産動詞」という構文パターンをとる発生他動詞構文と、「主体ガ格→既存物ヲ格→場所ニ格(着点)→位置変化動詞」という構文パターンをとる位置変化他動詞構文と二つに大きく分類される。いわゆる壁塗り構文の「壁にペンキを塗る」という構文は、構造格の語順からは発生他動詞構文に、ヲ格名詞が既存物であるという点で位置変化他動詞構文に、情態修飾関係からは状態変化他動詞構文に近いという、複合的な構文パターンをとる。

安 平鎬

contents(構成物,内容物),語順,状態性,属性(所有者),自動詞文

要旨

ニ格名詞句の表す意味について、数多くの先行研究で論じられいる。しかし、「AがBに述語(あふれる・まみれる等)」といったタイプの文に出現するニ格について、そのほとんどの先行研究では慣用的な表現として扱われ、それ以上の検討はなされていない。本稿では、「あふれる」「まみれる」「欠ける」などを述語とする文に出現するニ格について、これらのニ格が現れる文の構文的な特徴を手がかりに、「contentsのニ格」としてまとめ、その性質を明らかにした。これらの分析によって、その他のニ格の意味役割との関連性を詳細に捉え、このタイプのニ格名詞句の適切な位置づけが可能になった。

川野 靖子

壁塗り代換,位置変化,状態変化,格交替,ヲ格

要旨

本稿の目的は「壁塗り代換」の成立条件を導き、それを通じて位置変化動詞と状態変化動詞の接点について論じることである。代換可能な動詞は「物の位置変化」と「場所の状態変化」の両方を表す動詞であると考えられるが、代換可能な動詞と代換不可能な動詞の区別はこの場合の「場所の状態変化」の内容を以下のように定義してはじめて可能となる。

「壁塗り代換」における「場所の状態変化

  1. A. 「場所」がその表面を「物」ですべて覆われた状態になること
  2. B. 「物」と結合した「場所」が感覚的判断を伴った状態になること
  3. A'.「場所」がそこにあった「物」をすべて除かれた状態になること
  4. B'.「物」と分離した「場所」が感覚的判断を伴った状態になること

ただし上の条件を満たさないにもかかわらず代換を成立させることができる動詞が三つある(「塗る」タイプ)。このタイプの動詞の代換には「部分的」対「全体的」という解釈の違いが見られるが、この特徴は「塗る」タイプの動詞の特殊性に起因するものである。

また、上に示した「壁塗り代換」の成立条件は、「ニ/デ格交替」という現象の成立条件としても有効である。

石田 尊

格助詞脱落現象,助詞の無形化,[着点],[存在点],目的,統語構造

要旨

本稿は、ニ格名詞句に相当するような無助詞名詞句について、その分布、分類、そしてその生起に関する文法的な条件の三点にわたって考察を行うことを主眼とする。1.節ではまず基本的な記述を行いつつ、主体移動動詞の[着点]、「いる」「居座る」等の状態動詞の文で、その文が主体の意志に基づく滞在を表す場合の[存在点]、そして対象位置変化あるいは対象移動動詞の[着点]といった、三つのケースに無助詞形式が見られるという分布を明らかにする。2.節ではそれらの比較や分類を行い、ニ格相当の無助詞名詞句を、無助詞の他動詞目的語の場合と類した生起条件の想定できるものと、それができず[着点]の名詞句特有の無助詞形式と考えられるものの二つに大きく分類する。つづいて3.節で、それらの無助詞名詞句の生起条件について考察し、それが統語論の領域に位置づけられるべきものであることについて述べる。最後の4.節では、目的を表すとされる要素について取り上げ、それが3.節までで取り上げる無助詞名詞句とは大きく性格が異なり、別の観点からの記述、説明が必要と考えられるものであることを示す。

和氣 愛仁

ヴォイス,受動文,使役文,可能文,ニ格名詞句,受影性,与影性

要旨

語用論的な「受影性」という観点から受動文を見た場合、受影受動文が表す事象は、ある動作や変化(もとの文の動詞が表す事象)と、その動作によってある主体が影響を受けること(受け身動作)というふたつの事象が、階層構造をとっていると考えられる。この点で、受影受動文はイベントレベルでの事象の階層構造が文の構造に反映したものであり、いわゆる直接受け身と間接受け身は、基本的に共通した構造(=埋め込み構造)を持つということができる。同様に、語用論的な「与影性」という観点から見た場合、使役文が表す事象は、もとの文の動詞が表す事象と、使役動作というふたつの事象が、階層構造をとっていると考えられる。使役文も、イベントレベルでの事象の階層構造が文の構造に反映したものと見ることができる。これらのことから、日本語の受影受動文と使役文は、対立的な構造を持つということができる。

以上のことから、動詞句内における被動性と受動文における受影性、および動詞句内における他動性と使役文における与影性は、明確に別の概念として位置づける必要がある。

また、このような観点から考えた場合、可能文は語用論的な受影性、または与影性とは関連のない文型であり、したがって事象の階層構造は関連せず、同じ「文法的ヴォイス」の用語で考えることは適当ではないことも示す。

 

于 日平

目的表現,動作,結果状態,動作性,状態性,意志性

要旨

目的表現の[タメニ]と[ヨウニ]の相違については、従来従属節のコントロ―ル性、従属節と主節の動作主の異同という角度から論ずる研究が多い。本稿では、両者の基本的な相違は、動作を引き起こすことを目的にするか、結果状態を生起させることを目的にするか、にあることを明らかにし、動作性と状態性の区別、コントロ―ル性の有無、動作主のの異同などはすべて、その基本的な相違に由来すると考える。

馬 小兵

資格,「として」,「に」,「で」

要旨

「として」と「に」・「で」との交替について、先行研究では、そのような交替現象があるという事実の簡単な指摘だけはなされているが、どういう条件の下で交替出来るのか、その場合述部に対して「として・に・で」がそれぞれどんな文法的機能を持つのかなどについては、説明されていない。本稿では具体的な用例についての検討を行い、次のような結論を得た。

  1. 「として」は、「主体・対象・行為」の「資格」を表すなどの用法がある。「対象の資格」を表す時「に」の用法と重なり、「主体・対象・行為」の「資格」を表す時「で」の用法と重なる場合がある。
  2. 「対象の資格」を表す時、「として」と「に」は、交替出来る場合がある。その場合、述語動詞には、認定動詞あるいは自他対応のある認定自動詞が要求される。「対象の資格」をニ格で表す動詞を認定動詞と呼ぶ。
  3. 「主体の資格」・「対象の資格」・「行為の資格」を表す時、「で」と交替出来る場合がある。交替しやすいのは、デ格が道具・原因・属性・ポスト(場所)的な読みを持ちやすい場合である

安部 朋世

NQC型の数量詞,「ある/いる」述語文,定/不定,主名詞Q,非制限的連体修飾用法のNと代行指示のN

要旨

本稿は数量詞が〈名詞+数量詞+助詞〉の順に現れるタイプ(以下NQC型と呼ぶ)について考察することを目的とする。NQC型の特徴として次の点が挙げられる。まず、NQC型は、「ある/いる」述語文で、かつNで示される対象の存在を初めて表明する――つまり不定解釈の場合に許容度が下がることが挙げられる。また、NQC型においてN(またはNQ)に定解釈がなされる際、Qが主名詞的に働きNが非制限的な連体修飾節のように働く場合と、Nが代行指示的に働く場合の2種類が認められることも挙げられる。NQC型が現れる文の傾向としては、〈対象とその数量を明示的に示す必要がある〉場合に多くみられることが指摘できる。本稿ではさらに、NノQC型との違いについて、許容度の差が生ずる文を挙げてそれぞれの型の傾向を述べる。

福嶋 健伸

質形容詞,テンス,特性,直接的経験,一般化,認識論的な対立,具体的な時間

要旨

質形容詞の場合、発話者が非過去形で発話するか、過去形で発話するか、自由に選択できるという現象がある。また、テンスの問題とは別に、両形の選択が自由に行えないという現象もある。本稿ではこれらの現象に統一的な説明を与えるため、認識論的な観点を導入した。具体的には、直接的な経験か、それを一般化させたものかという点から、非過去形と過去形を大きく二つに分けて考察を進める。

〈A 直接的経験をあらわす非過去形〉と〈B 直接的経験をあらわす過去形〉はテンスにおいて対立し、〈C 一般化された非過去形〉と〈D 一般化された過去形〉の対立も、条件付きではあるが、テンスにおいて対立する。しかし、〈B 直接的経験をあらわす過去形〉と〈C 一般化された非過去形〉の対立は、テンスの対立ではなく、実際は認識論的な対立である。そのため、基本的に、〈B 直接的経験をあらわす過去形〉と〈C 一般化された非過去形〉は、両者の選択が可能となる。また、選択不可能な場合も、認識論的観点から説明ができる。

蒋 垂東

「エ」の音価,エ列音節,音訳漢字,口蓋介母,基礎音系

要旨

明の会同館において、通事養成のためのテキストとして編集された、中国語と日本語との対訳語集『日本館訳語』は、中世日本語の音韻資料として重要視されている。しかし、同書は、資料としてある事実を反映する場合と、積極的な根拠とならず他の資料に根拠を求めざるを得ない場合がある。本稿は後者の一事例を扱うものである。

『日本館訳語』の「エ」については従来その音価がjeと推定されているが、本稿では、同書における「エ」を含む全てのエ列音節の音訳漢字の用法及びその基礎音系に対する再調査を通じて、

  1. 『日本館訳語』に関して言えば、「エ」の音訳に用いられた漢字はそれだけでは、日本語の「エ」の音価の再構にとって、積極的な意味を持たない。即ち、当時の「エ」の音価がjeであったとの主張を積極的には支持し得ないものである

という見解を提示し、これを通して音韻資料としての同書の一面を明らかにする。

又平 恵美子

三河方言,文末形式,聞き手めあて性,確認用法,だろう,じゃないか

要旨

本稿は三河地方の現代の方言の文末形式について、記述的研究をおこなう。本稿でとりあげたものは、

  1. 動詞+「-in」
  2. 動詞+「まい」
  3. 「ら・だら」
  4. 「じゃん」(疑似標準語の「じゃない」との関連する部分を中心に)

以上の形式の接続形式、意味、用法を検討し、「ら・だら」「じゃん」類には<共有認識を形成する>ことを目的とする確認要求に用いられることがあることを指摘した。

奧村 彰悟

明治,東京語,江戸語,打消の助動詞,当為表現

要旨

現代日本語では、打消の助動詞を用いた条件表現には主に、「なければ」が用いられるが、明治期には「んければ」が用いられている場合がある。この「んければ」は江戸後期にも見られるものであるが、江戸後期における「んければ」は主に遊女によって用いられているもので、明治期の「んければ」とは位相が異なる。

明治期に見られる「んければ」の特徴は、教養のある男性によって話し言葉として「なければ」に代わって用いられていることである。さらに、明治期前半では、非江戸語・非東京語話者によって用いられる。それに対して、明治期後半には東京語話者によっても用いられている。また、「~んければならん」のように、演説や説明など改まった場面で、主に当為表現として用いられていた。

奈部 淑子

「呼びかけ」,「呼びかけ」のタイプ,「やや」,「―こそ」,「あが君」

要旨

本稿は平安時代の和文作品の中に認められる「呼びかけ」の表現形式について、その差異を指摘することを目的とするものである。「呼びかけ」の発せられる状況を三つのタイプに分けて考察を行い、タイプによってその出現に偏りが認められる表現形式〈「やや」・「―こそ」・「あが君」〉が存在することを指摘し、これらの表現形式の発揮する機能や生じてくる効果について説明を与える。

「やや」は「呼びかけ」の基本的な機能を発揮する、会話の場を成立させるに足る力を有した喚起性の高い表現形式であり、「―こそ」はコミュニケーションの開始を要求する場合に用いられるものであると考える。「あが君」は会話の場を成立させるほどの力を有するものではないが、話し手と聞き手との関わり方、会話の流れの中において効果を発揮する形式であったため、これを期待して用いられる場合もあったと考えられる。