筑波日本語研究 創刊号

1996年08月31日発行

安部 朋世

ダケ,個体限定,事態そのものの限定,事態存在の有無を問題とする事態限定,数量詞による量規定

要旨

ダケのスコープについては、安部1996で、ダケのスコープが越えることを許す節境界として大島1988、1995の〈集合限定〉の連体節を指摘した。

このタイプの連体節を含む文は、ダケが連体節内にあるにも関わらず、ダケのスコープが連体節を越える解釈が許容される。 このタイプの文は、ダケが連体節内に位置することから、ダケのスコープが連体節内にとどまる解釈も同時に許容されることが期待されるが、実際には、「名詞+ダケ+助詞」と「名詞+助詞+ダケ」のように連体節内でダケの位置をかえることにより、ダケのスコープが連体節を越える解釈と連体節内にとどまる解釈の許容度が異なることが観察される。また、ダケのかわりにダケの位置に数量詞を置いた文にも、同様の両義性が観察される。

このように、ダケの位置によって解釈に差が生ずるという現象は、ダケの限定の仕方に〈個体限定〉と〈事態限定〉という大きく2通りの限定の仕方があり、その2通りの限定の仕方と集合限定の連体節におけるダケのスコープとの関係から、3通りの解釈が可能となるが、3種類の解釈が表す事象が近似して区別されないことや、文脈からその事象が許容されないことがあるために、文によって解釈の許容度に差が生ずると考えられる。

一方、数量詞については、〈個体に直接関わる量〉と〈動作実現量〉という数量詞の表す量の違いによるものと考えられ、両者に共通の現象がみられるのは、ダケによる限定と数量詞による量規定が広く「限定」という点で共通することによるものであり、それぞれの限定または量規定の仕方は異なるものである。

又平 恵美子

「っけ」,イントネーション,記憶内情報の検索,終助詞の相互承接,発話

要旨

現代日本語の終助詞「っけ」について、その意味「話し手の発話時点での記憶内情報の検索結果の提示」ということから内部分類を行う。まず、発話者が検索結果に対し、確定的・未確定的のいずれの相であるか、ということによって分かれ、さらに伝達行為のタイプからそれぞれ二つのタイプに下位分類される。また「っけ」と他の終助詞(かな・な)を置換して類意表現をあらわす場合や、「っけ」に他の終助詞(か・よ・ね)が後接する場合、双方の終助詞が持つ意味と、イントネーションの型とが関連して、置換・後接の可否が対応することを示した。また他のモダリティ形式の中で、意味上の特徴や「よね」との共起制限や「の」を境とする出現場所から、「っけ」は「か」「だろう」と同じ一つのグループに属することを述べた。

于 日平

理由表現,客観性,主観性根拠・理由づけ方,導き出し式,付け加え式

要旨

理由表現の[ノデ]と[カラ]の使い分けについて、客観的と主観的で説明する論文が多い。しかし、客観=モダリテイ形式との共起なし、主観=モダリテイ的態度の表出、という図式になりがちな分析では、[ノデ]でも丁寧形なら「モダリテイ的態度の根拠」を表すことができることや、同じ「事態の理由」を表す場合の[ノデ]と[カラ]はどう違うのか、という問題を解決することができない。本論では、[ノデ]と[カラ]が同じく二つの出来事発生の継起関係にとらわれない主体的理由表現であると位置づける上で、客観性と主観性の相違を、i)根拠の客観性と主観性、ii)理由づけ方の客観性(導き出し式)と主観性(付け加え式)、という二つにとらえ直し、従属節と主文を因果的に結び付ける話者の主体的理由づけ方の角度から、検討を加えることにする。本論の分析を通して、理由づけ方に現れる客観性と主観性の相違を明確にし、主文のモダリティ形式との共起の有無だけを手がかりにする従来の結論の不備を解決できるのではないかと考える。

馬 小兵

許容範囲,序列の差,「で」の役割,適用場面,後続述語,構文機

要旨

本稿は、「で」の用法を役割・成立条件・適用の場面・構文的機能等の側面より考察し、許容範囲を指示する用法に焦点を当て、その特質を探ってみる。

「で」の用法に関する研究が進む中で、「コーヒーでいい」における「で」の用法をどのように分析したらいいか、という問題が残っている。このタイプの「で」の用法については、a.どんな役割を持つのか、b.どんな条件の下で成立するのか、どんな場面に現れるのか、c.どんな構文的機能を持つのか、といった問題があると思われる。本稿は、これらの問題を明らかにすることを目的とする。

本稿では、このタイプの「で」の用法を許容範囲を指示するものと提案する。許容範囲とは、話し手が発話する時の容認・認可できる範囲である。話し手の許容範囲が表される時、「で」によって指示される。「で」が許容範囲を指示できるのは、主に「で」に後続する述語の意味に関わりがあり、「で」の役割がただその印として働く。「で」の後に決まった述語が現れないと、「で」のこのような役割は果たせない。

和氣 愛仁

意味役割の連続性,共起制限,機能負担量,構造表示格,意味役割表示

要旨

これまでの研究では、ニ格名詞句の担う意味役割として、数多くのものがあげられてきた。しかし、多くの意味役割を並列的に羅列するだけでは、格助詞「に」が表示するものを明確にすることはできない。本稿では、意味役割の連続性、および二重ニ格制限を手がかりに、「に」を形態として持つ成分の機能を、大きく3つに分類する。その第一は、単文中の構造格成分を表示する「に」である。第二に、動詞の結果相を修飾する副詞的な成分を表示する機能である。第三に、受動文や使役文などの文法的ヴォイスに関連するニ格名詞句に付く「に」である。このような考え方を取ることによって、「に」の機能負担量、および二重ニ格制限という点についてある程度合理的な説明を加えることが可能になる。

蒋 垂東

会同館,通事序班,『大明会典』,『策彦和尚再渡集』,丙種本『華夷訳語』

要旨

『日本館訳語』の諸本の内、唯一ロンドン大学本に、「嘉靖二十八年十一月望通事序班胡淓 褚效良 楊宗仲校正」という識語がある。この識語は『日本館訳語』の成立を知る上で、重要な手掛かりとなるものであるが、役職名と人名については不明の点が残っている。本稿では、

  1. 「通事序班」は、会同館の通事を対象に設けられた役職であり、こうした肩書きを有する通事は、会同館の通事の中で教師となり得る存在であること。
  2. 「胡淓褚效良 楊宗仲」は、『策彦和尚再渡集』の記述によって会同館の日本館に実在していた通事である可能性が極めて高いこと。

という2点を解明することによって、この識語は、『日本館訳語』を会同館の作とする従来の推定を補強する有力な傍証であることを明らかにする。

奧村 彰悟

洒落本,「ないければ」,条件表現,当為表現

要旨

江戸語における打消の助動詞は、洒落本の調査によると、明和期では「ぬ」(「ず」)のほうが「ない」よりも優勢であったが、寛政・享和期では「ない」のほうが優勢となる。しかし、打消の助動詞を用いた条件表現では、明和期から寛政・享和期にかけて、「ねば」「ずは」のほうが「ないければ」よりも多く用いられている。

十八世紀後半の江戸語では、当為表現の場合には、「ねば」「ずは」「ないければ」のいずれも用いられたが、条件表現の場合には、「ねば」は恒常条件として用いられ、「ずは」は仮定条件として用いられ、「ないければ」は仮定条件、恒常条件として用いられた。十八世紀後半の江戸語における「ないければ」は「ねば」「ずは」の両方の用法を持っていたのである。

柳 椿姫

「通ふ」,類似表現,共通性,意味拡張

要旨

『源氏物語』中に使われている「通ふ」は、①人間が実際にA地点とB地点を行き来することを表す場合、②人物Aと人物Bの心に共感が生じることを表す場合、③対象Aと対象Bの共通点を示して、結果的にAとBが類似していることを表す場合がある。

その中で、③の場合の「通ふ」に注目してみると、用例数は「通ふ」の総数86例中17例を占めており、「似る」の前提となる場合もある。また、平安時代の仮名文学作品中、『源氏物語』では「通ふ」の意味拡張が見られるという点であらためて注意すべきであることを提示するものである。

奈部 淑子

オノマトペア,「擬音語」,表現効果,音の大小,美的非美

要旨

『源氏物語』に用いられている「擬音語」は、「擬態語」に比べその数はかなり少なく、それによって表現されている音も、平安時代の「女流文学作品」という範囲でそれを考える場合、それが美的なものであるとは言えず、その使用についての積極的な説明はいまだなされていない。本稿は『源氏物語』において用いられている「擬音語」が、その音の大小や、その音が美的なものであるか否かという基準では説明できないものであること、それらは作者によって意図的に用いられているものであり、作者がその場面において描こうとするものを印象づけ、表現するにおいて効果を挙げているものであること、またそれらが単なる季節感の演出や背景音の描写として用いられているものではないことを、平安時代の他の和文作品との比較を行いながら明らかにし、『源氏物語』における「擬音語」の使用に積極的な説明を与えることを試みるものである。