日本語文法教育研究会2001/05/21 於京都教育大学

文法教育は必要か

橋本修

問題の所在等

問題設定:(国語教育における)文法教育は必要か

背景
  :文法教育が、子ども・教員双方から不評。最も実際的な目的としての、「古文解釈」「文語作文」の必要性の低下。


本発表の基本的スタンス

a 現在明示的に想定されている文法教育の意義について、その必要性を検討。

b 明示的に想定されていないが存在する意義を探す。


中学校学習指導要領言語事項国語科の目標

「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し、伝え合う力を高めるとともに、思考力や想像力を養い言語感覚を豊かにし、国語に対する認識を深め国語を尊重する態度を育てる。」


文法(教育)とのかかわり

「表現」「理解」が一番関わり薄い。「思考力・想像力」「国語を尊重する態度」に関しては質の問題。「国語に対する認識」「言語感覚」に一番関係深い。ただしここにも質の問題あり。各論は4以下で。

このありかたは、概ね音声・音韻にも当てはまる。


表現・理解

文法の知識は、母語の表現・理解能力の向上に、あまり役に立たない。敬語等、臨界期以降に習得される部分ぐらい。現在のような明示的な文法知識がなかった時代に、日本人の通常の意味での表現・理解能力が劣っていたとは考えにくい。


思考力

文法知識を覚えることにより思考力が高まるということは、ない。

母語を、「外部的なものとして観察し、整合性のある形で分析する」という意味での、論理的思考能力を育成する効果はある。

ただし、論理的思考能力を育成するために観察・分析する対象として、言語(母語)が適切であるかどうかは別。「物理現象」「数的事象」等との比較必要。


想像力

日常的な意味、たとえば「古代への想像力」「他人の痛みへの想像力」というような意味での想像力は、文法知識と無関係。

「論理的知識の応用力」というぐらいの意味であれば、5と同じ。



国語に対する認識・言語感覚

「日本語(の文法)はこういうふうになっているのだ」ということが分かる、という意味では、認識・言語感覚は明らかに深まる。この点は一番有効。ただ、指導要領の意味するところは違う可能性あり。

「認識」については8で再考。

「言語感覚」については、文学的な言語感覚は文法知識とほぼ無関係。源氏物語の作者・読者に現在のような文法知識はないが、文学的言語感覚は優れている。日本語を観察・分析することにより「日本語・言語というのは大体こんな感じになっている」「言語の普遍的部分と個別的部分の違い(「英語にも名詞がある。でも英語には助詞はない。」とか)」というような感覚は、身に付く。この感覚が、外国語習得に役に立つ可能性はある。


国語を尊重する態度

「日本語の文法がこんなに精妙にできているのだ」という感じは、伝わる可能性あり。

しかし、「精妙さに対する感動」が「尊重する態度」に直結するかどうかは要検討。

数の世界の精妙さに対する感動が、数的世界を尊重する態度につながるか。

物質の分子構造の精妙さに対する感動が、分子を尊重する態度につながるか。

創造物の精妙さへの感動が神を尊重する態度につながるというようなありかたはあり得るのかもしれないが、それは別の話か。

7の「国語に対する認識」も同様。「大切さの認識」という意味なら、上と同じ問題がある。

「目の大切さの認識」のためなら、目の構造やものが見えるメカニズムを教えるより、目が見えないとこんなに大変、ということを教えた方が効果的。

「日本語には文法がない」というような、国語軽視につながりかねない偏見をなくすには文法知識は有用。ただし、かなり複雑な文法に対する勉強の成果が上の偏見をなくすことだけ、というのは効率が悪いのかも。


古典文法との関係

古典読解・文語表現(文語作文)のための第一段階としての必要性は、当然ある。

ただし現在、文語表現(作文)の必要性はほぼゼロ。

古典読解はぎりぎり。


明示的に想定されていない意義

外国語習得に効果あるかも(cf.7)。「名詞」などの概念は、初出としては英文法で出てくるよりも、国文法で出てくる方が習得しやすいかも。


暫定的結論

「全く意義なし」ではない。主として5「思考力」・7「国語に対する認識・言語感覚」に意義。その他4,8,9が少し。

ただし、「それを身につけるのに、文法的知識が最適なのか」「その意義が、教えるべき他のことよりも重要・同等なのか」については、さらなる検討が必要。


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