シンポジウム「日本語の文法研究と文法教育史」
平成13年11月10日
鈴野 高志(筑波大学大学院)
児童言語研究会と文法教育(教科書記述への影響などを中心に)
1.児言研における「文法教育」の位置付け――成立時における大久保忠利の主張
「児童言語研究会」(以下「児言研」とする)は、1951年、民主主義科学者協会言語部会に参加していた人たちによって設立された、民間の教育研究団体である。児言研は発足以来、以下の理念、目標[1]を掲げて教育研究と実践を進めてきた。
(1) 言語は認識・思考と直接に結びついている。私たちは言語によって思考し、言語によって思考したことを伝達する。言語はまさに思考の道具であり、考えや知識を伝達するための基本的な道具である。
(2) 学校教育は全ての教科、学級、学年活動、特別活動をとおして、知識や技能、人格の発達をめざす。その中で、言語の諸能力化について、国語科は中心的に責任を負うべき教科である。
さらに、国語教育のうちの文法教育分野について、いわば児言研の生みの親である大久保忠利[2](1961)は次のように述べている。
国語教育の目標は、(結果としての重点だけをあげれば)
1 ハッキリと正確に考えさせる(「内言」育て)
2 コトバ送り活動(話し・書き)をハッキリと正確にさせる
3 コトバ受け活動(聞き・読み)をハッキリと正確にさせる
(2・3には「話し合い」が含まれる)
(中略)2・3の能力を育てるためには、音声・語イ・文章・段落・読書・視聴覚教育などの関連で、すでに多くのことが実行されています。ところが「欠けている環」があったのです。それが文法教育でした。文章は「文」(センテンス)からできているものです。この「文」の組み立てと「文」のツナガリ(そして「指示代名詞」《コソアド》を含んで「段落」・全文章にひろげられる)を、
〔(発見⇔教授⇔ドリル)⇔応用〕⇔能力化という関連で、子どもたちの身につけ、能力化させる、これこそがいま目指されている「文法教育」の核心なのです。
すなわち大久保は、国語科における「話し」「書き」「聞き」「読み」の四つの能力を「ハッキリと正確に」できるレベルまで子どもを育て上げるために、「文法教育」もまた欠かせない要素となることを主張していた。
このような大久保の考え方は、大久保自身による著書や同じ児言研の研究者であった松山市造(当時学習院初等科教諭)らとの共著などの中に確認することができる。また、のちに大久保が中学生・高校生向けとして著した『楽しくわかる日本文法』(1976・一光社)にも、その基本的な言語観、文法観はほぼそのまま取り入れられている。
2.小松善之助と『たのしい日本語の文法』
ところで、児言研における文法教育の流れを見ていく上で、大久保のほかに、小松善之助の存在を見逃すことはできない。小松は、昭和30年代に教育関係の集まりで大久保と出会い、以後5年間に渡って、東京都立大学の大久保の研究室に聴講生として通う。その一方で昼間は小学校で教鞭をとっていた小松は、大久保の言語観、文法観に影響を受けて多くを学びながらも、大久保の考える文法指導をそのまま小学校で実践することに、やや抵抗感を抱いていたという。すなわち、大久保の考え方、特に「語とは人がある事象に対してそれをどのようにとらえたかということ、そういう判断の現れである」という点には「理論」上強い共感を示しながらも、いざそれを具体的に学校現場において取り入れることを想定した場合、その「方法」という点において、大久保式そのままの形では、学びの主体である子どもたちには受け入れられないのではないかと感じていたのである。
例えば、大久保は小学校低学年において「文」における構成要素を説明するさい、その文全体を一人の少年(小学生か?)が学校の制服を着、かばんを持って立っている姿に見立て、「主素」(いわゆる主語)のことを「アタマ」と呼んだり、「修体文素」(いわゆる連体修飾語)を「ボウシ」、「修用文素」(いわゆる連用修飾語)の「マント」と呼んだりすることで、文を子どもたちに「きちんととらえ」させることができると提案している[3]。しかし実際の学校現場ですでに直接子どもたちを相手にし、その子どもたちの学習への興味の示し方、理解の仕方を肌で知っていた小松にとっては、大久保式の方法では子どもたちを文法の学習にひきつけることは困難である、他の方法を模索する必要があると考えた。その旨を率直に大久保に伝えたところ、その時には大久保も「いろいろ試してみて、変えられるところは変えていけばよい」とアドバイスしてくれたという。
そこで小松は、当時、野林正路(現・麗澤大)らとの共同学習において刺激を受けたチョムスキーによる変形生成文法を参考にしながら、それまでの児言研文法に修正を施して実践を重ねつつ、小・中学生を対象とした『たのしい日本語の文法』(1975・一光社)を著した[4]。この中では、あらゆる文のもととなる「基本文」[5]をまず想定し、その「基本文」が「変形」して「受け身変形の文」や「可能変形の文」「使役変形の文」などが作られる、という考え方を採用している。当時、チョムスキーによる変形生成文法は、大学の応用言語学分野など、研究者レベルではすでに広く知られていたものの、小学校や中学校の国語教育、文法教育においては、現在以上に、ほとんど認知されていなかったであろう。しかし、小松たちが小・中学校の文法教育に変形生成文法の導入を試みたのは、他でもない大久保忠利以来の、児言研における「言語」、および「文法」のとらえ方の「理論」を、今度は実践的に教育の場に生かしていくための「方法」上、たいへん有効であると考えたためである。すなわち『たのしい日本語の文法』において規定されている「基本文」は、大久保の「文」規定=「文――ひとまとまりの考えが、コトバで言いあらわされたもの。その中味のもの・こと(対象)についての話す人・書く人の態度が示されている。」[6]における「(その)中味のもの・こと(対象)」に相当すると考えてよいだろう。そして、「基本文」から派生して「変形文」ができるその過程に、大久保における「話す人・書く人の態度」が介入する、ととらえることができるのである。小松は、『たのしい日本語の文法』の前書きの部分にあたる「日本語の文法を学ぶにあたって」の中で、『はやとり』という小学生向けの物語文の中で、登場人物の「おじいさん」が「くすの木を切る」ことを村人たちに提案するさいのセリフについて、それが「本によって、いろいろちがう文であらわされてい」ることを紹介し、次のように説明している。
@ 「みんなで力を合わせたら、切れないことはあるまい。」
A 「みんながやれば、かならず切れる。」
B 「そう、みんなで力を合わせて切るのです。」
くすの木を切る、という考えを述べている点は、どの文にも共通なのですが、この場面での、おじいさんの気持ちや態度のえがき方は、大きくちがっています。それぞれ、どのようにちがうおじいさん像をえがいているか、みんなで調べてみましょう。
【研究】
◆ @とAでは、どのようにちがうでしょう。
◆ @とBでは、どのようにちがうでしょう。
◆ それぞれのちがいは、どのことばによるか確かめてみましょう。
みなさんは、研究の中から、「切れないことはあるまい」「切れる」「切るのです」などのことばによって、おじいさん像がちがっていることに気づいたことでしょう。「切れる」は、「切ることができる」(可能)の意味に近く、「切るのです」は、切る(傍点ママ)という決意を述べている感じです。これらに比べ、「切れないことはあるまい」は、「切れない(否定)」、「ことはあるまい(ないだろう)」の二つから成っていて、二重否定推量の判断となっています。「くすの木を切る」という見通しについて、不安に思いながらも、それができることをねがっているおじいさん像が述べられています。
こうしてみると、やさしいと思った文章の中にも、今まであまり気がつかなかった日本語のきまり――文法を発見して驚いてしまいます。(以下略)
ここには、小松が大久保から学んだ「文法観」と、それを方法面でチョムスキーの理論を取り入れながら小松式にアレンジした、第二の児言研文法のありよう、小松が当時目指そうとしたものを、象徴的に見ることができる。それは、一つには同じ「くすの木を切る」ということについて述べた文であっても、物語の書き手すなわち表現者がその「おじいさん像」をどのようにとらえるかによって、表現された文の形が変わってくるということ、そして二つには、そのことについての気づき、発見にこそ驚き、言い換えれば、文法を学ぶことの楽しさがあるのだということを述べている点である。さらに、三つ目として、この説明が小・中学生の学習者が読むものとして、その読み手に寄り添った、とてもわかりやすいものとなっている点を指摘しておきたい。そしてその「わかりやすさ」は、文をただ観念的にとらえていたり、あるいは、かつての大久保によるまるで説明のために作り出したやや不自然さも伴うような文[7]を提示しているのではなく、あくまでも実際に書かれている文を対象とし、そこに書かれている言葉(「切れないことはあるまい」「切れる」「切るのです」など)を手がかりとした具体的な観察をもとにしているところから生じているものと思われる。
ただし、そうはいっても『たのしい日本語の文法』はその本編においては、【「基本文」→〔変形〕→「変形文」】という「定式」的な部分そのものを強調しすぎたあまりに、数々の変形のパターンを順を追って機械的に説明していくような傾向[8]が目立ち、それゆえ記述全体にどこか変形文の名称や変形の規則そのものを学習することが目的と感じられてしまうような印象が生じてしまったことも否定できない。先に取り上げた「前書き」にあたる部分では文のきまりを発見することの驚き(よろこび)に触れられていたものの、本編の中では(結果的に)その考え方はじゅうぶんに浸透させられず、ともすれば旧来の(機能文法以前の)暗記式の文法が形を少し変えた、それも一般の国語教師や教育関係者には馴染みのないチョムスキー文法を取り入れたある種の「胡散臭さ」の伴う文法として受け止められてしまった可能性もありうるのである。もちろんそれは、小松及び小松とともに『たのしい日本語の文法』編集に携わった児言研の研究者たちの本意ではない。児言研の機関誌である『国語の授業』1976(昭和51)年2月号は、『たのしい日本語の文法』の刊行に関わって、「小学校の文法教育をめぐって」と題する座談会を特集しており、その中でこのテキストの使用法について小松は、「このテキストを直接に教材にして扱う場合には、全部読解してしまって、文法則を発見する喜びが学習活動として組みにくいというお話しが(鈴野注・座談会出席者荒川邦子氏から)ありましたが、そのとおりだと思うんです。」と述べている。そして、特に小学校においては「授業プリントという私たちが一時間の授業を充実させるために考案してきたプリントを用意して、こういうふうに導入して、ここのところをこういうふうに考えさせ、討議させ、そしてその法則性をとらえさせるというような、(中略)そういう指導の手続きをしたうえで、『いま勉強しているのはここですよ』というような形で、もう一回この解説書を読んでみましょう、これとの関連領域を、もう一度確かめてみましょうという形で、題材間の近隣関係を確かめ合い、この法則の網を理解させる。(以下略)」と、述べ、授業ではあくまでもプリントを用いた「法則」の「発見」にこそ重点をおき、テキストはあとから確認するためのもの、として位置付けるべきだということを強調しているのである。さらに、そのために一般の(児言研の理論・方法について熟知していない)教師が実践するためには、『新・文法教育の実践』[9]という、小松と松山市造の編著による実践書を参考にして欲しいという旨も述べられている。しかし、こういった編集者たちの意向が、果たして『たのしい日本語の文法』を手にした教師たちのどれほどのところまで伝わっていたのかということについては疑問ののこるところである。
さて、『たのしい日本語の文法』が出版された6年後の昭和55(1980)年度版より、小松は教育出版の小学校国語教科書編集者として名前を連ねるようになる。その中には、『たのしい日本語の文法』に見られた「基本文からの変形」という考え方が、教科書という極めて公共性かつ一般性を要求されるメディアの中ではどのように書き直されていったかという跡を見ることができる。また、小松参画以降の教育出版版教科書における文法事項の記述は、大久保の理論を具体的に実践化するために小松によって修正されたとも言える児言研文法が、小学校教科書全般にどのような影響を与えていったか、ということを探るための足がかりにもなりうるであろう。(以上、小松に関する事項の多くについては、小松善之助氏にインタビューを行った[10]際に直接ご本人からうかがった内容である。)
3.小学校教科書に見る児言研文法の影響
では、小松が関わり始めた昭和55(1980)年度版からの教育出版小学校教科書における言語事項分野の記述はどのように変わったのだろうか。さらに、それらの「変革」は教育出版の教科書のみならずれ以降の小学校国語教科書全般にも何らかの影響を及ぼしたのだろうか。ここでは、特に小松が参画して以降の教科書における言語事項の中でも特に文法分野に関わる記述に絞って、それらを同社発行の小松参画以前の教科書や、同時期に他社で発行された教科書などと比較しながら、児言研の文法分野における研究成果がどのように小学校国語教科書に反映されていったか、ということについて考察をしてみたい。
3−1.小松参画による教科書記述の変化(文全体を観察対象とした記述へ)
児言研での文法研究成果が教科書の中にわかりやすい形で反映されているものに、「受け身」や「使役」などに関わる、文全体を観察対象とした記述がある。 昭和52(1977)年度版以前の教科書では、「受け身」や「使役」といった文法事項がそのままトピックとして提示される例は見られず、それらはいずれも「れる・られる」「せる・させる」といったいわゆる「助動詞」を学習するさいにその用法の一部として挙げられていた程度である。
ところが、小松が加わった昭和55(1980)年度版の教科書には、5年下「ことばのきまり1」の中に、次のような記述がある。
〔受け身の言い方〕
――線の言葉に気をつけて、次の文の言い表し方のちがいを考えてみましょう。
(1) ねこが ねずみを つかまえる。
(2) ねずみが ねこに つかまえられる。
どちらも同じことがらを言い表した文ですが、(1)の文では、動作をするもの(ねこ)を中心にした言い表し方です。これに対して、(2)の文では、動作を受けるもの(ねずみ)を中心にした言い表し方です。
この(2)のような文を、受け身の文といいます。次の図で、受け身の文の仕組みを調べてみましょう。

受け身の文では、次のように、述語に「れる・られる」が用いられることに注意しましょう。
・わたしは、町田さんに招待される。
・小犬が、村山君に育てられる。(以下略)
また、同年度版6年下「ことばのきまり1」には次のような「使役」についての説明が書かれている。
〔使役の言い方〕
――線の言葉に気をつけて、次の文の言い表し方のちがいを考えてみましょう。
(1) 父に言いつけられたので、わたしは、花の種をまく。
(2) 父が、わたしに、花の種をまかせる。
どちらも同じことがらを言い表した文ですが、(1)の文は、花の種をまいた理由を付け加えて、「わたしのしたこと」(わたしを中心にした言い方)を表しています。これに対して、(2)の文は、「父のしたこと」(父を中心にした言い方)を表しています。
この(2)の文のように、だれかが、ほかの人に、何かをさせる言い方の文を、使役の文といいます。次の図で、使役の文の仕組みを確かめてみましょう。

使役の文では、次のように、述語に「せる・させる」が用いられることに注意しましょう。「せる」を用いるか、「させる」を用いるかは、述語になる動詞によって決まります。
・母は、わたしに、マーケットで、卵と肉を買わせる。
・先生が、兄に、太陽系の星について調べさせる。
使役の文については、さらにこの後、「母が、弟をねむらせる。」のように動作主をヲ格で表現する場合もあることや、「わたしは、母に、電話をかけさせられる。」のような、いわゆる「使役受け身」の構文についての説明にまで至っている。
ここで注目すべきことは、5年で学習する受け身の文、6年で学習する使役の文のいずれとも、まずその導入部分において、受け身や使役の形式を持たない文と受け身や使役の形式を持つ文とを対比させ、「どちらも同じことがらを言い表した文ですが」という前提を述べた上で、受け身や使役の文が話し手や書き手の視点の違いによって生み出された表現である形式である、ということを説明しているということである。
ここには、特に児言研の研究の中でチョムスキーの理論を参考にしながら小松が中心となって主張してきた、基本文からの「変形」という考え方がはっきりと示されている。
また、文法教育においてその観察の中心を「文」におき、「文の生成にはある事実・事態に対しての表現者の判断が含まれる」という考え方を文法教育における根幹に位置付けてきた[11]大久保忠利以来の、児言研の主張が多分に引き継がれて反映した書かれ方になっているとも言えるであろう[12]。
3−2.北原保雄による理論的支え
小松の参画によって教育出版版教科書の文法分野に関わる記述内容が書き換えられていった過程を振り返るにあたり、もう一点、決して見逃すことのできない事実をあげておきたい。それは、小松とほぼ同時期に、同じ教出版教科書の編集委員として北原保雄が参画したという点である。小松自身も当時を振り返って、「北原先生と(教科書編集を)ご一緒したことは私自身たいへん勉強になった。北原先生の理論には伝統文法に近い部分がありながらも、緑の本[13]の考え方に重なる部分が多かった。それがよかった。」と語っている[14]。
北原保雄は、特に構文論の分野において、それ以前の橋本進吉による文節・連文節を単位とした文の構成についての分析や、時枝誠記の入子型構造図による分析を検討した上で、それらでは説明しきれない点がある[15]ことを明らかにし、また一方でそれぞれの長所も取り入れながら、文の「重層」性に着目した新しい文構造の捉え方を提案したことで知られている。
北原による文構造では、例えば「太郎が花子に本を読ませる。」といういわゆる使役文の場合であれば、まず「本を」が「読む」と直接結合し、「本を読む」全体に「せる」が下接結合するものと考える。さらに、「花子に」が「本を読ませる」全体と結合し[16]、「太郎が」が「花子に本を読ませる」全体と結合すると考えるのである。
このような、文の重層的なとらえ方は、ちょうど小松が児言研文法を発展させるにさいし、大きな影響を受けたチョムスキーの変形生成文法における理論にも相通ずるところがあると見ることができる。すなわち、変形生成文法においては、例えば先の「太郎が花子に本を読ませる。」という使役文は、その「深層構造」に「花子が本を読む」という文を「補文」として想定し、主文の主語である「太郎」が、補文の主語「花子」に対して「本を読む」という動作を生じさせるものと考える。
そして、教科書編集における北原の存在は、国語教育の中での文法事項の記述に、児言研の文法研究の成果を、大きな摩擦を起こすことなくスムーズに取り入れていくことに大きな役割を果たしたと言える。少なくとも、それまでの橋本進吉の理論をベースにした文節中心の文法記述や、「読解」や「表現」、特に作文指導との関わりで根強く主張されつづけていた「機能文法」的要素がまだ教科書の中に残っていた時代に、国語教育の分野では市民権どころか認知すらされていない変形生成文法の理論を取り入れた児言研式の文法を導入することは、本来、客観的に考えれば、極めて困難だったはずである。
しかし、橋本文法や時枝文法など、国語教育の分野でも中心的に取り扱われてきた文法理論を踏まえ、それらの長所も取り入れながら構文論を軸とした新しい文法理論を開発していた北原が、教出版小学校教科書の編集という場において小松と出会い、文法分野の記述に関わったことは、文のとらえ方において北原の文法とも近い部分を持つ児言研式の文法を緩やかに、かつ着実に教科書に取り入れていくための、重要な橋渡しとなったと見ることができよう。
例えば先の、受け身や使役文についての教科書記述をあらためて振り返ると、そこにも小松と同時に北原が参画していたことの跡を見ることができる。
児言研独自の補助教材用としてのテキストである『たのしい日本語の文法』では、受け身文や使役文の説明部分には必ず、そこで観察されたことに対して、
(前略)
このように、動作の影響を受けるものが主語になり、述語動詞に「れる(られる)」のつく文を受身変形の文といいます。
このように、主語の表す人、ものが、ほかのものに、ある動作をさしずすることを表している分を使役変形の文といいます。
といったようなまとめ書きふうの説明が施されており、見かたによっては「受身変形の文」「使役変形の文」といった名称やその定義を覚えること自体が文法の学習の目標として受け取られてしまうおそれがあったように思う。そうなった場合、文のとらえ方において理論的には大きな違いがあるものの、「文法学習の中心はやはり覚えること」というような、「機能文法」以前の、あるいは現在に至るまで中学校の文法指導においてしばしば批判的に評価されてきたような事態が結局ここでも繰り返されはしなかっただろうか。
教科書における記述の重点が、そのような名称や定義の学習よりも、実際の文の観察のほうに置かれた背景には、やはり北原のアドバイスが大きな役割を果たしていたのではないかと考えられるのである。
3−3.教出版教科書、その後
平成8(1996)年度版教科書を最期に、小松は教出教科書の編集委員を退く。昭和55(1980)年度版より小松によってもたらされ、北原によって理論的な部分で支えられてきた教出・小学校国語教科書文法事項における児言研文法の影響は、小松勇退後の平成12(2000)年度版教科書(現行)に至るまで、分量や構成には多少の推移が見られるものの、確実にその足跡を残している。例えば、次の例は平成12(2000)年度版5年上「ことば―二つの内容をつなぐ」の記述である。
■次の( )に、「ので」「のに」を入れて意味のちがいを考えましょう。
・小犬は、ボールをとってきた( )、お母さんにしかられた。
「ので」と「のに」のどちらを入れても、「小犬がボールをとってきた」ということと、「お母さんにしかられた」という内容は変わりません。ちがうのは、二つの内容のつなぎ方です。
(中略)
二つの文の内容をつなぐ言葉には、「ので」や「のに」のように文の中で直接二つの内容をつなぐものと、「だから」や「しかし」のように、一度文を切ったあとでつなぐものとがあります。
■次の( )に、 の中の言葉を入れて意味のちがいを考えましょう。
・小犬はボールをとってきた。( )お母さんにしかられた。
だから しかし それで けれども そのため
(以下略)
現行教科書では、もはや「順接」や「逆接」といった名称そのものは提示されてはいない。しかも、いわゆる学校文法でいうところの「接続助詞」と「接続詞」が同じ項の中で取り上げられている。その一方で、複文の前件と後件、あるいは接続詞を介した一文目と二文目の関係をつなぐのは、その事態をどのように見るかという表現者の判断、態度に関わっているという、昭和55(1980)年度版以来の記述のしかたが継承され続けているのである。
授業時数の削減などによる教科内容の精選がなされる中で、結果として「順接」や「逆接」、あるいは「接続助詞」と「接続詞」といった細かい文法上の区別を表す用語や品詞名よりも、文そのものを対象としてそこに話者や書き手の判断や態度を観察するという文法教育観が優先的に保持されていると言ってよいのではないだろうか[17]。
3―4.教出以外の教科書への影響などについて
教出版教科書における小松善之助の場合と同様に、児言研の研究者が教科書の編集に関わったケースが他に2例ある。それらは、日本書籍版教科書における関可明、そして学校図書版教科書における松山市造である。
二人がそれぞれの教科書編集に関わり始めた時期は異なるが、いずれの場合についても、小松が教出版教科書に関わり始めた昭和55(1980)年度版と、さらにその後の昭和61(1986)年度版において、教出版の記述にかなり近づいたような書かれ方が見られるようになってくる。
教出・昭和55(1980)年度版と、これら2社のものとの関連をまとめると、次のようなことが言える。
教出版・昭和55年(1980)年度において、小松が参画して作られた新しい教科書では、特に受け身文や使役文、あるいは接続語に関わる記述において、事実・事態を文として表現する過程に、表現者の判断が反映するということを前面に出した記述がなされた。そしてこの書き換えには、北原保雄による理論的裏づけがなされたところが大きい。
児言研研究者・関可明を執筆者として新たに迎えた日書では、昭和55年度版においてはそれまでの大枠を保持しながらも新しい内容を盛り込み、次の改訂である昭和61(1986)年度版より教出版に近い記述へと移行していったと見ることができる。
また、昭和20年代より児言研の研究者である松山市造が編集に関わっていた学図版教科書では、昭和43(1968)年度版あたりから、児言研文法における研究成果を少しずつ盛り込んではいたが、ちょうど小松や関がそれぞれ教科書編集に関わり始めた昭和55(1980)年度版より一歩踏み込んで児言研的な文法観を織り込んだ記述へと移行し、さらに昭和61(1986)年度版においては、昭和55(1980)年度版教出に倣った形で、事実・事態と表現者の判断についての関係に触れた記述がなされるようになった。
この他の、児言研研究者が特に編集・執筆者として名を連ねていない東京書籍・大阪書籍・光村図書については、3社の流れに何らかの形で沿っていったと推察される記述が部分的には見られるものの、それらを直接的に3社あるいは教出版の影響として見なしてしまうだけの根拠は今のところ希薄である。特に光村図書については、その教科書採択率(シェア)から言ってもむしろ逆に他の教科書に影響する可能性の方が強いと考えられ、判断には慎重さを要する。
それぞれについて、記述の推移をもう少し丁寧に確認したあとで結論を出したい。
3−5.児言研による文法教育の現在
さて、1980年代半ばごろから、児言研はその研究活動の中心を、文学作品や説明的文章の「読み」の分野に一層移行し始めるようになる。
『たのしい日本語の文法』の編集者にも名を連ねている岩田道雄氏によれば[18]、現在では、特に文法教育については、主に児言研の「中学部会」の活動が細々と継続している程度で、「小学校部会」ではほとんど行われていないとのことである。
その中学部会では現在、『読み書きに役立つ新しい日本語文法テキスト(中学・高校編)』(児童言語研究会中学・高校部会編)という中学生、高校生を対象としたテキストと、そのテキストに準拠する形で『読み書きに役立つ中学生のための新しい文法指導』(岩田道雄)という教師用の指導書を作成[19]している。
「テキスト」の1ページ目には「文とはなにか」という序文が設けられ、そこには「文」についての定義が以下のように説明されている。
『「文」というのは、形のうえでは、「。」から「。」までで、内容的に言えば、書き手の考えや感じたことなどをまとめて述べた一続きの言葉である。』などと、普通の文法書には書いてあります。もっとわかりやすく言えば、「文」とは、「ある物事について、語り手の認識を表わしたもの」だということです。つまり、人間の感じや考えの中で、中心となるひとまとまりの「心の働き」をコトバで表わした一つの単位なのです。そして、その「心の働き」のカナメは、ある物・事にたいして「ソレガ=ドウデアル」と判断し、それを言い表わすことなのです。
この、「文」をある物事に対する語り手の認識の表現とする規定には、大久保忠利以来の児言研の伝統的な文の捉え方が受け継がれていると言えるが、このテキスト及び指導書が目指しているところは、その表題にはっきりと示されているとおり、「読み書きに役立つ」という点になっているのである。
さらに少し細かく見れば、テキストの記述内容も例えば「受け身の言い方」「使役の言い方」「推量の言い方」「重文」「複文」といったように、全体として構文論中心の記述となっている点は、かつての大久保やそれを方法の面で発展させた小松の流れを汲んでいると見ることができるが、ただ、それらが全て「読み」や「書き」のための知識・道具として位置づけられ、文そのものの観察に主眼が置かれなくなっている点がどうしても気になってしまう。かつての『たのしい日本語の文法』も、その記述のみに注目すれば、「知識としての文法」といった嫌いが感じられる部分が少なからず見られたのは否めないが、その目的とするところは実際の文をまず子どもたち自身が観察し、そこに隠されている言葉のきまり(表現者の意図によって文形式が変わるという点も含む)を考えるプロセスが重視されたものであったはずである。それは本発表2のところでとりあげた座談会における小松氏らの発言や、『新・文法教育の実践』に取り上げられている数々の実践からも読み取ることができる。
実際の言葉の観察というプロセスを重視しない文法学習は、ともすれば教師自身の、言葉に対しての謙虚さをも失いかねないのではないかと、先の中学部会(脚注18参照)に参加して感じた。
【参考文献】
・
『コトバの機能と教育・国語教育』(1961)大久保忠利/明治図書
・
『たのしい日本語の文法』(1975)児童言語研究会文法教育研究班/一光社
・
『楽しくわかる日本文法』(1976)大久保忠利/一光社
・
『新・文法教育の実践《中級》』(1978)松山市造・小松善之助/一光社
・
『読み書きに役立つ新しい日本語文法テキスト』児童言語研究会中学・高校部会編
・
『読み書きに役立つ中学生のための新しい文法指導』岩田道雄
・
『日本語の世界6 日本語の文法』(1981)北原保雄/中央公論社
・
『日本語助動詞の研究』(1981)北原保雄/大修館
・
『日本文法小事典』(1989)井上和子編/大修館
・ 各社小学校国語教科書(昭和52年度版〜現行)
[1] http://www.ikkou-sha.co.jp/icchidoku.html(一光社ホームページより「児童言語研究会」案内)
[2] 『コトバの機能と教育・国語教育』(1961)明治図書
[3] 前掲『コトバの機能と教育・国語教育』。ここでは「とてもかわいいこどもが、おもしろそうな本をねっしんによんでいます」という例文を挙げ、「とてもかわいい」が「ボウシ」、「こどもが」が「アタマ」、「おもしろそうな本を」が「ニモツ」、「ねっしんに」が「マント」、「よんでいます」が「カラダ」というような文構成要素の名づけを行っている。
[4] 但し「児言研編」として、共著。編集委員には小松のほかに市川玲子、松山市造など、児言研の文法分野では中心となっていた人物の名前が見られるが、大久保の名前はない。
[5] 「基本文」は主語・述語および(場合によっては)補語からなり、述語の形から「どうする文」(動詞が述語)、「どんなだ文」(形容詞・形容動詞が述語)、「何だ文」(「名詞+だ」が述語)に分けられると考える。
[6] 前掲『楽しくわかる日本文法』
[7] 前掲「とてもかわいいこどもが、おもしろそうな本をねっしんによんでいます」のような文をさす。
[8] 各「変形文」の説明とも、まず例文と場合によってはそのもとになった「基本文」がまず示され、次に必ず「このように〜のときに用いる文を、○○変形の文(太字)といいます。」といったような定義が書かれ、さらに多くの場合「○○変形の文には他に〜という形があります。」のような補足が加えられている。
[9] 『たのしい日本語の文法』とほぼ同時並行で編集され、1973(昭和48)〜1978(昭和53)年にわたって刊行された児言研の小松らを中心としたメンバーによる授業実践集。「初級」「中級」「上級」の三冊から成り、それぞれ小学校の低学年、中学年、高学年への指導を想定している。それぞれの巻に大久保忠利による巻頭言が見られるが、実践例は小松や松山、市川玲子らによるもので構成されている。
[10] 平成13(2001)年7月1日、新横浜駅近くの喫茶店にて。インタビュアーは、矢澤真人先生、鶴見女子短期大学安部朋世氏、筑波大学大学院森田真吾氏、鈴野。
[11] 「文を、そのカナメの『単位文』にあっては、主部・述部すなわち(命題・プラス・アルファ)より成るものと認める。〈中略〉もちろん、文には、その複雑さからいって単文・重文・重複文の区別があり、その文の述べ方から見て、単なる肯定的断言だけでなく、否定もあれば推定もあり、また疑問や命令や禁止や感動など、諸種の述べ方のあることはいうまでもない。けれど、それらの文はまさにその中に主部・述部を命題として含み、ある「命題」を諸種の態度をもって述べているものと見ることが妥当であると認める。(もちろん、一語文的感動文もあるけれど)。ゆえに前記の文規定を立て、これを文法指導の中心におく。(『新・文法教育の実践《中級》』1978)/「文――ひとまとまりの考えが、コトバで言いあらわされたもの。その中味のもの・こと(対象)についての話す人・書く人の態度が示されている。」(『楽しくわかる日本文法』大久保・1976)
[12] 受け身文、使役文以外にも、複文の導入に関わった接続語の取り扱い方などに、児言研文法的な考え方を見ることができる。
[13] 『たのしい日本語の文法』(1975・児言研編)をさす。このテキストではその根本となる考え方に、チョムスキーの変形生成文法を採用している。
[14] 前出・小松善之助氏へのインタビュー。
[15] 北原(1981@『日本語の世界6 日本語の文法』)では、例えば「きれいな花を見る。」のような連体修飾を含む文については、橋本の場合「花を」が「きれいな」を受け、「見る」に続いていると説明せざるを得ないこと、一方「太郎が犬に手をかまれた。」のような連用修飾語を多く含む文の場合、時枝の入子型構造図では「太郎が」「犬に」「手を」がすべて「かまれ(た)」に対して同等同列に並ぶことになってしまい、どういう序列で「かまれ(た)」と関係するかということが示せないということを指摘している。
[16] この場合に、本来「本を読む」の主格である「花子が」が「花子に」となっているのは、「読ませる」と関係して使役格になるからだと北原は説明する。(北原1981A『日本語助動詞の研究』)
[17] 受け身・使役についてのコラムは、平成4(1992)年度版(5年下)までは「受け身の文、使役の文」と題されていたのが、平成8(1996)年度版(6年上)からは「主語を変える言い方」と改題されており、「受け身」「使役」といった名称の学習よりも文を観察する学習を優先する意向がより強く打ち出された形となっている。
[18] 2001(平成13)年9月22日、児言研中学部会(於・大田区田園調布小学校)にて岩田氏本人より取材。
[19] 「作成」としたのはいずれも出版社からの発行ではなく、自前で印刷、製本したと思われるB5版の小冊子であるため。