ロンドンの
"Fringe"加藤行夫
湾岸戦争が一応の終結を見た春先、
The British Councilの"Grant for Research Fellow" をいただいて1か月余り滞英し、名目は The Warburg Instituteにて資料収集、その実、勝手気ままな芝居三昧という日々を送った。初めてのロンドンに着いた当日の夜、街頭で老人に小銭をせびられたショックも覚めやらず仮宿にたどり着くと、背後の闇に倉庫風の建物が茫漠と浮かび上がり、そこに Comedy of Errors / Romeo & Juliet と大書されている。Double bill=10£とあるのも不明のまま、およそ演劇王国に想像していたものとは異なるこのさびれた劇場に早速入ってみることにした。正しくは、入ってみたら劇場(Jeanetta Cochrane Theatre) であることが分かった、と言うべきか、要するに大手ではない小劇団による地元公演なのだが、これがいわゆる"Fringe"との出会いではあった。ロンドン中心部
West Endで華々しく夜を飾る大劇場の商業公演に対し、地域的にもその周縁部(主として旧ロンドン市行政区の外)に散在するこれら芝居小屋では、一流ではない俳優による地道な演劇活動が続けられている。情報誌Time Outに"Fringe Shows"としてあげられている劇場数は70にものぼる(WestEnd の劇場はその約半数)が、必ずしも境界線は明瞭ではなく、後述するThe Young Vic など実績のある劇場は、たとえばBrirish Theatre Yearbook(1990)では大手入りさせられている。充実した出しもので知られる Almeida Theatre も、昨年アヌイのThe Rehearsal を公演し、それが今年はWest Endに移されてロングランを続けているし、CafeTheatre Covent Garden では、さらに長期にわたってサルトルのIntimacyが観客を動員している。人気と規模において決して
West Endに引けを取らないこれらの劇場を、だが例外として、その大多数は名のない若い役者たちによる弱小劇団と考えてよいだろう。アメリカ演劇のoff-(off-)Broadwayに、そして日本の小演劇運動に相当するものと説明されることもあるが、やはり内実はそれぞれに違う。外にいると実情をあまり詳しくは知らされないこの "Fringe"について話題になるとすれば、Arnold WeskerやHarold Pinterらがそこから出てきた成功物語の陰画の部分としてくらいか。しかし、このような日陰のうちにこそ、劇的なるものを求める原初のエネルギーがそのままに息づいているはず、というさして根拠のない確信にとりつかれ、"Fringe"巡りの旅を思い立った次第。当初抱いた
"Fringe"定義のための仮のキーワードは、「拘束のない自在な実験性」で、この出発地点を決めたのもロンドン第一夜の原体験だった。あのDouble bill は、つまりComedy of ErrorsとRomeo & Julietの2本連続の入場料だったわけだが、役者はもちろん、舞台装置や衣装まで、まったく変えずに、それぞれを1時間半くらいに切り詰めて上演していた。だからどうなのか、すれ違いをめぐる悲劇と喜劇は紙ひとえ、お互いが合わせ鏡となって生ずるは、もうひとつ別のシェイクスピア劇世界ということなのか、何だか分からないけれどとにかく新しい、というわけで、「実験性」が期待の地平に刷り込まれる。けれども、これが幻想にすぎないことを知るのに、さほど場数を踏む必要はなかった。地下鉄の構内放送で無愛想に繰り返される
"Mind the Gap"「(電車とプラットフォームとの)隙間にご注意」をタイトルにした Larchmere Theatre の芝居は、イギリスに在住するアメリカ人たちの齟齬を軽妙に笑った政治風味の喜劇だったし、Offstage DownstairsのContinental Brechtfestに至っては語呂合わせのオンパレードだった。パンとコーヒーだけの簡単なヨーロッパ式朝食 continental breakfast とBrechtをタイトルに掛け合わせたミニ・レヴュー集なのだが、何と芝居の休演日である日曜の、それも朝から行なわれるのだ。ロンドン北部Chalk FarmRoadの早朝がらくた市を覗きながら探しあてた目的地は Offstage という本屋の地下で、われらが60年代の学生演劇が指向していた暗いトポスを彷彿とさせないではなかったが、むしろ明るい朝日の差し込む降り口で手渡されたのはその日のObserver誌と、そしてコーヒーとクロワッサンだった。観客は日曜の朝のひとときをいつものようにリアルタイムで、パジャマを着た役者たちとともに"Comedy, Coffee & Croissants"で楽しむという趣向。そう、これらの芝居を支えているのは、「実験」などという肩の張ったものではなく、ひとえに「趣向」なのだ。寸劇とジョーク混じりの歌に大笑いする観客を横目で観察しながら、彼らのこの楽しみ方は基本的には
Dominion Theatreの42nd StreetやCambridge TheatreのReturn to theForbidden Planetに対するものと変わりはないと感じていた。こちらはせいぜいが30人という観客の規模こそ違え、共通するのは、歌と踊りとスペクタクル、三拍子揃った申し分のない entertainmentということ。その明るすぎる哄笑、屈託のない無反省さに戸惑いすら感じつつ、クロワッサンを食べさせたからといって、だから何なのだ、と心中うそぶいていた。この趣向本位は、Observer誌の支援をパンフレットにまでうたい、かつての実験劇には満ちていた反商業主義の気概のかけらもない。そもそも、ベケット以来、演劇においてはすでに新しきことなしとなったいま、これ以上を求めるのは酷というものだろう。それでも、ないものねだりかアナクロか、本場の演劇に、それも小劇場には、社会の営みから隔絶された、止むに止まれぬドラマへの「情念」といったものを確認したく、次はロンドン南部へと向かう。分かりにくい国鉄を乗り継いで降り立った街は、黄昏に人通りもなく、黒々とした煙突のシルエットばかりが目立っていた。何度電話で尋ねても行き着けなかった
Tara Arts は、実は普通の houseのなかにあり、戸口に出たインド女性が、予約は?と聞いてきたりで恐ろしげ。40人ほどの観客の囲むなか、男女2名づつのアジア系の役者がおどろおどろしく繰り広げた King Oedipus は、しかし、笑止と言うほかなかった。インドの民族衣装をまとい、いかにも大仰な身ぶりと大げさな表情で叫び廻るのだが、演技の稚拙さもさることながら、そうすることの意味も必然性もまったく感じられないのだ。前評判では、Oedipus の異人性を強調しているとあったが、それは最後に"Stranger Oedipus!" と叫ぶだけのことで、つまりはethnicism の悪しき安売りをしているのだ。確かに劇場が異界との出会いであってみれば、神妙な顔つきで見入っている他の観客の畏敬の念に水をさすつもりはないが、同じアジア人の目には、異国性という得体の知れなさを隠れ蓑に、「情念」の偽装を演じているとしか写らない。あれほど日常的に異民族同士が暮らし合う国にあっても、
"ethnic"ということばは、演劇の領域ではどうやら切り札的な役割をもつらしい。Pentameters の Romeo and Juliet のうたい文句は、"Romeo and Juliet comingfrom different ethnic backgrounds toemphasize the antagonism of the families
”ということだったので、またロンドン北部、ヒースの残る古い街に出かけた。アトリエ風の芝居小屋は、主催者側の弁では日が悪かったということで、観客はわずか10人、と思っていたらそのうちのひとりが立ち上がってプロローグをしゃべりだしたから、9人。一方役者は14人、それがほとんど常に全員舞台に出ているので、最前列の観劇は何とも気まずいものとなった(料金が6£、彼ら1人の取り分は、などと余計な計算までしてしまう)。さて、冒頭で争う両家の下僕2人づつの、それぞれ1人が黒人。続いて登場したMontagueが黒人、Lady Montague が白人、となっていれば、さあ Romeoは、と当然期待する。ところが出てきた主役は、Julietよりも背の低い(ということがいけないのではなく)ひ弱そうな白人だったのだ。もちろんJulietは白人で、せりふはすべて原作通り。解せないままに前半が終わり休憩に入ったので、演出家でもあるくだんのプロローグ役に、そのあたりの意図を聞いてみた。うむ、出身が"ethnic"であることを強調したかったのであって、Romeo
役としてはあの役者は結構うまい方だし、とその男は弁解がましい。新味なネタ探しに腐心して、理念ばかりが先走ったというところだろうか。ちなみに、公演ポスターでは Romeoの肉体は漆黒に印刷されていた。否定的な印象ばかりではなく、
"Fringe"ならではの感動もあるにはあった。テムズ河のはるか上流、地下鉄の終点から丘の上の教会を目指す坂道の途中に Duke's Headというパブがあり、同名の劇団による The Winter's Taleはその2階で夜の8時から行なわれた。思い思いのグラスを傾けながら、最終電車の時間を気にする風もなく、役者に声まで掛けている観客たちは地元の若者なのだろう、最後の Hermione 復活の場では涙ぐんですらいた。この純朴な感動の姿には驚きとともに素直に感激させられた。極めつきは
Trevor Nunn演出により The Young Vic で上演されたTimon of Athens だろう。これは見事のひとことに尽きる。強盗が射殺されるという唐突な冒頭を加えて巧みに物語に導入し、原作の「森」は舞台を大がかりに解体した廃車置き場となり、テキストではどうも釈然としない Timonの死に際が、拳銃自殺という壮絶なものに変えられた。Timon 役者は、劇の前半では、つややかなだけの虚の舞台を柔和な博愛主義者として滑るように動き、後半うって変わって、リアリティがむき出しにされた土ぼこりの舞う廃虚で、狂気にも似た人間嫌いと金銭蔑視を演じ分けて見せたのだ。演出家の知恵と役者の技量が融合すると、ここまで生き生きとシェイクスピアは現代に甦るものかと、あらためてイギリス演劇の奥の深さを思い知らされた。だが、先述のように、これは
"Fringe"としては(のみならずWest Endのなかでも)例外に属する出来ばえなのだろう。平均的な"Fringe"の芝居に関わる多くの若者たちに対して、いつまでも払拭できなかった疑問は、彼らは何のために、何を求めて、こんなことをしているのか、というものだった。同じ時期に郊外の名画座で見る機会に恵まれたOrson WellesのOthello, Macbeth, Citizen Kaneの3本立てこそ、50年も昔のものであったがむしろドラマの何たるかを鮮やかに思い起こさせてくれた。それは、かく生き、かく死んだというかけがえのない生のかたちの実感にほかならない。もちろん、いまさら青臭い演劇論をもち出すつもりはないのだが、実験も情念も、そして一切のミュートス再構築の志向性もないそれら数多の芝居群は、つまり何であったのか。結局のところ、演劇とは彼らにとって「お仕事」なのだ、という実に当たり前の事実に行きあたる。
West Endとの相違は、成功した仕事と成功しようとしている仕事ほどのもので、日本に英語教師がたくさんいるのと同じように、それは歴史の偶然が重なって抜き差しならない必然となった現実そのものにほかならない。しかし、昨今は関係誌のいたるところで劇場運営の危機が報じられ、ロンドン動物園の閉鎖問題と同列に劇場のcasualties(予算削減被難リスト)が掲載されるにつけ、400 年にわたった必然も危ぶまれてくる。感動の
Timonのカーテンコール、Timon 役者が切々と The Young Vicの窮状を訴え、ご退席の際にはぜひご寄付を、できれば(小銭ではなく)"paper money" で、と言ったのは、あの Timonにして何とも笑えない冗談だった。(筑波大学助教授)