ドラマを作る文化――ベケット時代の終焉

加藤行夫

 いまではほとんど知る人もないが、戦後まもなく作られた映画に、田中澄江が脚本を書いた『我が家は楽し』(一九五一)という作品がある。ヒロインの娘を演ずるのは高峰秀子、その父親に笠智衆、母親が山田五十鈴、妹は岸恵子、という当時最高の豪華キャストにもかかわらず、この映画はいま見ると何ともつまらなく、極めて凡庸な印象しか与えない。----貧しい一家が借家の明け渡しを迫られていて、出て行くあてもなく困惑している。画学生の長女(高峰)は日夜絵を描くことに専心しているが、それが売れるわけでもない。苦労を一手に引き受ける母親のたくましさと優しさだけが救いだ。やがて、その家の持ち主になる男が訪れて一家の明るさにふれ、彼の計らいで家を出なくてもよいということになる、というお決まりの展開に加えて、折しも展覧会に出品した長女の絵の入選が知らされる。喜びの涙を浮かべる母と娘のクロースアップ、「みんなおかあさんのおかげよ」に重なる大仰なバックミュージック、そして家族みなで「埴生の宿」を歌う(!)。その姿が窓の外からシルエットとなって浮かび、下町の情景にカメラの目が移動して、「終」と大写しにされる----と、見ている方が気恥ずかしくなるほどの、まさに絵に描いたような古き良き時代のホームドラマなのだ。

 この物語は、じつは、よく知られたアメリカの劇作家ジョン・ヴァン・ドルーテンによる『ママの思い出』(一九四四年初演)に酷似している。----貧しい一家は少ない収入で毎月ぎりぎりの生活をしていて、銀行の預金もない。作家志望の長女は、せっせと小説を書いて出版社に送るのだが、すべてつれなく返されてしまう。たまたまその街を訪れた売れっ子の女流作家に、母親が娘の作品を持ってアドバイスを求める。「身近なことを書くように」との忠告に、長女は「ママの思い出」を書くことにし、できあがった原稿を送った出版社からやがて多額の小切手が届けられる----。この劇は一九四八年にジョージ・スティーヴンス監督により映画化されていて、母と娘の喜びのクライマックスに続き、自分の作品を家族のまえで読み上げる姿が窓の外からのシルエットとなり、家並みにカメラがパンしてエンドマークが出る----と、ほぼ確実に、その三年あとに中村登監督によって制作される『我が家は楽し』の下敷きになっている。『我が家は楽し』で娘がキャンバスに描いていた絵は、まさに母親の肖像であった(ついでに言えば、どちらも父親の影が薄く、『ママの思い出』では、パパのことを書かなかったの、と言う母親の問いに、書くことがなかったんですもの、と娘。『我が家は楽し』では、すまないね、この年になって家一軒持てないなんて、と小さくなる父親)。

 この種の例は枚挙にいとまがないが、しかし問題なのは、誰が誰のマネをしたのかということではない。問題は、ある時期に別な場所で同じような作品が、たしかに存在したという、その事実自体にある。〈母〉を主題とするこれら二つの物語は、終戦直前の、あるいは直後の、暖かな〈家庭〉への願いの表明であった。そして、戦いに勝ったか負けたかの違いを越え、等しく生活を貧困にと追いやったのは、他ならぬ男の論理だという反省があった。これまでもそうだったが、むしろこれからの時代、家族を本当に幸せにするのは女しかいない、母しかいない、という素朴かつ悲壮な思いがあった。〈家庭〉ないし〈故郷〉への希望に満ちた回帰があった(『我が家は楽し』と同時上演されたのは、『カルメン故郷に帰る』だった)。異国に作られたこれらのドラマを根本のところで支えているのは、こういった共通の意識だったに違いない。少なくとも、ある種の同質な作品を成立させたのは、それらを同質のものとして生産し受容する一定の社会的関係が、その作品を含む総体的な何かの中にあったからだとひとまず想定してよいのではないか。

 しかし、いまわれわれが『我が家は楽し』を見てもほとんど何の感動も受けないのは、その作品を切実なものとして生み出したかつての精神性がいまは失われているからだろう。戦中戦後の貧困はもはや忘れ去られ、女性の役割について語らなければならないのは自明の前提となった。それに、われわれはおそらく、〈家庭〉とか〈家族〉という最も基本的な場が、実際にはその日常性の背後から常に暗い深淵をのぞかせているということも知ってしまった。いまあえて「我が家」をドラマにするとしても、もうあの天真爛漫な明るさには戻れない。せいぜいが、ハロルド・ピンターの『召使い』(一九六〇)のように、ある日突然他人が侵入してきて、主客の立場を逆転させるといった不条理劇、あるいは、自虐、暴力、酩酊の渦の中で崩壊する反家庭劇、エドワード・オールビーの『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』(一九六二)、さらには、サム・シェパードの『埋められた子供』(一九七八)のように、庭にわが子が埋められていると繰り返す家族たちの、ゆがんだ恐怖劇しかあり得ないだろう。

 ごく最近では、ピンターの十五年ぶりの長編劇『月光』(一九九三)が現代の〈家族〉の実相を見せてくれる。死の床にある父親とその妻の属する空間、そして、ふたりの息子が属する空間とが舞台上で同時進行する。妻は夫のために息子たちを何週間も探しているが見つけらず、一方、奇妙に難解な言葉で話し合う兄弟の会話も空回りし、人名・地名が続々と並べられるが、彼らの関心が内なる父親にではなく、外部に向けられていることがわかる。息子たちは、ときおり父親のことを話題にしても、もはや過去形でしか語らず、父母のいる空間とは電話でつながっているのだが、そこにまったく対話は成立しない(「お父さんが死にそうよ」「中国の洗濯屋ですか?」)。この異なる空間は時間もずれているらしく、過去と現在、事実と虚構とが入り乱れたまま空しく劇は終わる。

 ひとりの作家が一つの作品を紡ぎ出すとき、すでにしてその語りの磁場を決定しているのは、作家の〈個性〉などであるよりもはるかにまえに、むしろ広義の時代性、歴史といったものだろう。ドラマの場合、常にそれ自体で普遍的な〈劇的なるもの〉を志向するという局面があると考えるのは一応は正しい。としても、その〈劇的なるもの〉を生成する核としてのアクションに何が選ばれるか決めるのは、もはや劇作家個人の領分ではないのかもしれない。つまり、作家の、そして読者あるいは観客の精神性を作品という形に引き出すヴェクトルは、彼の〈時代〉を抜きに考えられないのだろう。

 たとえば、ここに太宰治の「待つ」という掌編がある(『女性』所収、一九四二)。----「いったい、私は、誰を待っているのだろう。はっきりした形のものは何もない。ただ、もやもやしている。けれども、私は待っている。大戦争がはじまってからは、毎日、毎日、お買い物の帰りには駅に立ち寄り、この冷たいベンチに腰をかけて、待っている。」この女性が待っているのは、「もっとなごやかな、ぱっと明るい、素晴らしいもの」らしいが、それが何であるかは自分でもよくわかっていない。「大戦争」という一大事の不安の中で、人はみずから行動を起こすより、いったい次に何が起こるのか、ただ静かに「待つ」しかなかった。ここにも時代に決定された物語がある(あるいは、ケネス・バーク Kenneth Burke の初期の小説作品に見られるように、キリスト教社会という特定の文化の中では、神の救いを「待つ」人物が描かれもした)。

 そして、戦争が終わり、次の時代を迎えた人々は、不安とともにやはり何かを待つことになる。純朴な願いとしてのホームドラマ『我が家は楽し』が日本で作られていたその同じころ、ひたすら「待つ」ことをアクションの中心にすえたサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』(一九五二)がフランスで上演される。この劇の受容をめぐっては、さまざまな興味深いエピソードがあり、最も有名な話は、試みに上演したサン・クェンティンの刑務所で、難解な芝居が囚人たちに「ゴドーは、しゃばだ」とすぐさま納得されたというものだ。もう一例をヤン・コット(Jan Kott)の報告からうかがうと、パリ初演(一九五三)のあと、一九五六年初頭、ポーランドのワルシャワで上演された『ゴドー』が、普通の芝居を期待していた観客によって冷やかに拒否され、二幕構成のこの劇の半ばでほとんどが席を立ってしまったと言う。実際、コット自身がこの劇の意図を飲み込めず、「のどにつかえた」と告白し、ときの劇評に「大層な退屈」(Brilliant Boredom)と書いたと回顧している(Kott, P. 209)。以後二週間にわたって劇場はがら空きだったとのことだが、折しも、第二〇回ソビエト共産党大会でフルシショフがスターリン批判をしたその演説文書がすみやかにワルシャワに届き、それとともに『ゴドー』の前売り券が、開演三週間目にして、たちまち売り切れ始めた(フランス語版の初版には、ヴラジーミルの「スターリン的こっけいだ」という台詞がある)。待つべき「ゴドー」は「社会主義」だ、と一挙に了解され、歓迎されたという次第だ。このことからも言えるのは、作品の意味はいつもその時代性ないし状況に支えられたものであるということ、ベケットの作品も天才ベケットの慧眼としてのみ読むのではなく、他の作品とまったく同様に、時代の中に浮遊するものとして読まなければならないということだろう。

 文化や思想が異なると同じ作品でも異なって受容される好例として、中国における『ゴドー』の上演がある。「人民日報」誌上にベケットのこの作品が初めて紹介されたのは一九六二年と言われるが、実際の芝居は長く一般の目にふれることがなかった。文化大革命後に、「確信の危機」という思想状況の中で不条理演劇が一時注目されることもあるが、まもなく「精神汚染一掃」キャンペーンにより強い批判を受ける。『ゴドー』の上演が可能になるのは、ようやく一九八六年になってからだが、それでも従来の表現形式や思想性との折り合いを多くの点でつけなければならなかった。健全かつ堅実な中国の「社会主義」にとって、『ゴドー』という「荒誕派戯劇」は、「西側の〈現代派〉思潮」を気取るものという拒否反応があるとのことらしい(瀬戸宏の報告による)。

現代演劇に対する通常のまとめ方によれば、一九六〇年代から七〇年前後は方法論を過剰に意識した時代で、それが既成の体制を疑わせ、また演劇とは何かということをまともに問題化しようとして不条理劇を生んだ(別役実)。いわば外的にも内的にも演劇の時代だったわけだが、社会運動と演劇活動とのこのような共起ないし連動は、歴史の中で間歇的に生起する現象のように思われる(『ゴドー』が書かれた年に、日本で「血のメーデー事件」と前後して起こった「東大ポポロ事件」も劇団ポポロ座を背景としていた)。あるいは、現実の空間を演劇的に演出することが可能に思えた特殊な時代が訪れたのだと表現してもよいだろう。当時の象徴的な芝居に、寺山修司主催の劇団「天井桟敷」が行なった『ノック』(一九七五)という市街劇があり、東京都内数カ所の街頭で多発的偶発的に一般市民を巻き込んで芝居を起こすというものだが、こんなことが可能だったのは、それを一つの「芝居」と認めるほどに均質な演劇意識をすでに社会の側が持っていたからと言える。

時代の思潮を単純に概括してしまえば、六〇ー七〇年代を席巻したイズムは、政治的にはマルクス主義、個人の内面レヴェルでは実存主義で、世界は「名づけ得ぬもの」で満ちていると喝破したJ=P・サルトルの哲学(「マロニエの樹、それは〈余計なもの〉だ」『嘔吐』)に共鳴していた若者たちは、同じく『名づけ得ぬもの』(一九五八)にこだわり続けたベケットをサルトルの同胞として素直に受け入れることができたのだった。ほぼ同じ時期に生き、死んだこのふたりの思想家の、しかし決定的な違いは、人間の〈主体〉のとらえ方にあるだろう。サルトルは素朴に主体性というものを信じ、「投企」(projet)なり「参加」(engagement)なりの概念を使って、名づけ得ぬ世界を名づけるのは「わたし」だと主張する。そして、その「わたし」とは「わたしが未来に向けて創るところのもの」であると健やかに断言する。----「人間は彼自身の投企以外の何ものでもない。彼は自己を実現するかぎりにおいてのみ存在する」(『実存主義とは何か』四三頁)。

これに対してベケットでは、〈主体〉そのものの揺らぎが問題にされる。名づけるべき「わたし」が、もとより名づけられていないし、名づけられる見込みもないのだ。語ることが定められていないがゆえに何でも語り得ると楽観するサルトルとは反対に、ベケットにとって、「語るべきことはほとんど残されていない」と始まった短い『オハイオ即興劇』(一九八一)の最後のつぶやきのように、「語るべきことは何も残されていない」。オプティミスト・サルトルに対置されるベケットのペシミストとしての系譜を指摘する論者は、セリーヌやカミュをベケットの先輩として挙げ、しかしそのだれよりもベケットが深いペシミズムをたたえていた、と述べる。ベケットは、いっさいの救いを拒絶するばかりか、拒絶することによって得られるであろう何がしかの満足をも拒絶しているのだから、というのがその理由である(Steven J. Rosen)。

 『ゴドー』の登場人物たちは、たしかに何かを待っている。この「待つ」という、行為はしないが精神のエネルギーを要するアクションが、かろうじてこの作品を〈劇的なるもの〉にしているのは事実である。『ゴドー』の「待つ」ことに潜むぎりぎりの〈主体性〉を指摘するとき、よく引き合いにされるのは、そのフランス語版にあって英語版で削除された箇所――「もしかすれば、今晩は、あの人のうちで寝られるかもしれない。暖かい、乾いた所で、腹をいっぱいにして、藁の上で。待つだけのことはある、違うか?」というヴラジミールの台詞である(En attendant Godot, p. 25)。これがもし実現すれば、あたかも『我が家は楽し』と同格のホームドラマにもなりかねない、センチメンタルなまでの切ない望みではあるのだが、『ゴドー』はわずかこの一点で、伝統的な演劇につなぎ止められていると言える。

 けれども、そのじつ、彼らの待ちかたは極めていい加減で、昨日のことをもう覚えていないだけでなく、待っているという事実さえしばしば忘れてしまったりもする(何度もリフレインされる「もう行こう」「だめだよ」「なぜ?」「ゴドーを待つんだ」)。一貫した自分のアクションを登場人物が忘れないでおくのは、言うまでもない劇の最低限の必要条件のはずだが、それすらここでは危うくされているのだ。悲劇『ハムレット』が「忘れるな」("Remember me", I. v. 92)という命令で始まったように、記憶に支えられた強く持続する意志が、従来の壮大なドラマを作り上げてきた。しかし、ベケットの作品に登場する(正しくは、無理矢理登場させられる)人物たちは、ことごとくが救いようのない健忘症に冒されている。

 こういった〈忘却〉も、現代演劇を特徴づける一つの現象で、たとえば、トム・ストッパードの『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(一九六六)には、同様の症状が蔓延している。----「忘れてしまっていることすべての次に思い出せるのは何だ?」「ああ、そういうことか。(間)・・・質問を忘れた。」 この〈忘却〉は、物語内の事情としてあるよりも、物語そのものの成立を不可能にし、緊密な持続が大前提のプロットを、つまりアリストテレスの言うドラマの「魂」を内部崩壊させる。シェイクスピア劇でも、およそアクションの欠如した『トロイラスとクレシダ』では、しばしば〈忘却〉が語られる。----「〈時〉という恩知らずの怪物は、〈忘却〉にくれてやる施しものを入れた袋を背負っている。」("Time hath, my lord, a wallet at his back / Wherein he puts alms for oblivion, / A great-siz'd monster of ingratitute." III.iii.145-7)

 一方、同じ「待つ」ことでも、強く長く待ちこがれると、そこにはおのずと違ったドラマができあがるだろう。日本の古典文学には、この種の過度の情念をモチーフにしたものが多く、たとえば謡曲の「松風」は、松風・村雨姉妹の亡霊が中納言行平に恋をして、須磨の浦でいつまでも待つ話だ。また、『平家物語』を典拠とする謡曲「俊寛」では、平家討伐を企てて鬼界ヶ島に流され、ひとり赦免されずに島に残される俊寛が、悲哀とともに石と化したかのごとく坐りこむ。おそらく彼は、その姿勢のまま永遠に待ち続けなければならない。謡曲「班女」も、遊女花子が愛する吉田少将を狂女となって待ちこがれ、賀茂神社で再会し形見の扇で確認する物語で、三島由紀夫の翻案「班女」(『近代能楽集』所収、一九五六)がある。「私、体のなかが、待つことで一ぱい。夕顔には夕闇が、朝顔には朝が必ず来るのに、待つ、松、そう、私の体のなかはちくちくする松葉で一ぱい。・・・私は諦めないわ。もっと待つわ。もっともっと待つ力が私に残っているわ。私は生きているわ。」----と三島の花子が言うように、彼らはみな、『ゴドー』のふたりと違って激しく待ち続け、待つことがすなわち生きることの証になっている。物理的な動きのほとんどない、しかし強い情動を感じさせるドラマを好むわが国の文化にとって、「待つ」ことは格好の題材なのだ。「心よりいでくる能とは」と論じた世阿弥が、「せぬところ」をささえる「心」の重要性を説いている(『花鏡』)のもうなずけよう(ベケット劇と世阿弥の夢幻能との差異を確認しつつ形式的・構造的類似性を指摘した卓見あふれる高橋康也の論文を参照のこと)。

 しかし、かろうじて『ゴドー』に残されて主体的精神も、その後のベケットの世界ではますます希薄になってゆき、やがて消失してしまう。わずか三十五秒間の『息』(一九六九)は、実体のある人間が登場せず、ガラクタの散乱する舞台が明るくなり、また暗くなり、そこにうめき声とも産声ともつかない声が聞こえるだけ。『ゴドー』には、ポッツォの「女たちは墓石にまたがってお産をする。ちょっとばかり日が輝く、そしてまた夜。それだけだ」という台詞があり、これは後に『息』で提示される舞台のイメージを端的に先取りしたものと言えるが、「それだけだ」という言葉に象徴される静止画像は、本来的に劇のアクションを生成させない。そう言えば、『ゴドー』の冒頭第一声は、「どうにもならん」("Nothing to be done.") だが、「演ずるものは何もない」とも聞こえるこの台詞は、劇をその抹殺から始めたものととれる(高橋注参照)。「終わり、終わりだ、終わろうとしている。たぶん終わるだろう」と始まる『勝負の終わり』(一九五七)、この密室に閉じ込められたハムとクロヴは、小さな窓から外をのぞくだけで、出て行く意欲すらない。また、『言葉なき一幕T』(一九五七)では、ひとりの男が舞台に放り出されるようにして登場し、舞台裏から「呼子」が鳴らないと何一つ行動できない。「もうそろそろやめてもいいころよ」とリフレインされる『ロッカバイ』(一九八一)は深い眠りで終わる。象徴的なのは、前掲『オハイオ即興劇』の終幕直前の台詞である。----「考え、いや、考えではない。心の深み。どんな深みだか誰も知らないところに沈められ。心の、ではない、心のない深みに。」(傍点筆者)("Thoughts, no, not thoughts. Profounds of mind. Buried in who knows what profounds of mind. Of mindlessness.")

 「詩は劇に限りなく近づく」と言ったのはT・S・エリオットだが、ここには〈劇〉になることを拒否した〈詩〉の世界があるのみだ。ベケット劇の詩的要素についてはすでにマーティン・エスリン(Martin Esslin)らに指摘されているところだが、ヴラジーミルに「詩人になりゃよかったんだ」と言われるエストラゴンのごとく、処女作が『ホロスコープ』(一九三〇)という長編詩だったベケット自身、詩人になればよかったのかもしれない。『ゴドー』の「待つ」という行為を唯一の例外として除き、なべてベケット劇の登場人物たちが生きている、あるいは生きていない場所は、時間の経過に左右されない均質な停滞、すなわち〈詩〉そのものの中なのだ。

 詩はどのようなときに生まれ、劇はどのようなときにできるか。自己と他者、内面と外界との相克がドラマを作るとすれば、自己の主体的精神が限りなく肥大した、万能感に満ちあふれるオプティミズムの世界には、劇はあり得ない。あるのは、詩、それも讃歌。そして、主体的精神を萎縮させ、心のエネルギーを喪失したペシミズムの世界にも、劇はあり得ない。あるのは、詩、それも挽歌(山内登美雄、五七ー八頁)。サミュエル・ベケットは、『ゴドーを待ちながら』の危うい成功一点を除いて、劇作家ではない、挽歌を奏でる詩人なのだ。

 それにしても、〈主体〉の崩壊をいち早く察知していたベケットが八〇年代以降のポスト構造主義を先取りしていたのは間違いなく、今後も新しい批評の方法論の試金石としての出番が絶えることはないだろう。バフチン(Mikhail Bakhtin)やフーコー(Michel Foucault)から見たベケット論はすでに華やかで(Peter Griffith, etc.)、また、精神分析の方法論でも、たとえば消失した〈家族〉の姿が『勝負の終わり』などから読み出されたりしている(Joseph Smith; Bennett Simon)。ベケットの作品によく指摘される「反復」という現象を、フロイト(Sigmund Freud)の言う「反復強迫」から考えてみるのも興味深い。フロイトは、恐ろしい体験をしたあと繰り返しそれを夢に見る外傷神経症の患者に注目し、夢は願望充足であるというテーゼと矛盾するこの事実を説明するために、「快感原則の彼岸」("Beyond the Pleasure Principle", 1920)の中で「死の欲動」(タナトス)という概念を導入したわけだが、『ゴドー』始めベケットの諸作品における「反復」を、やはり繰り返しほのめかされる「死」に結びつけることは、あながち無謀ではないかもしれない(ベケットにおける「反復」を文学理論の問題として論じたスティーヴン・コナー Steven Connor なども参照のこと)。

すぐれた思想家は時代を超えるのは確かだが、しかし、再度確認しておかなければならないのは、ベケットを旗手とする一連の不条理演劇は、特殊な時代の特殊な文化の中でこそ開花した、という事実である。反逆と自意識の時代、くつがえすこと自体に意味を見い出せた時代。全国的・全世界的な社会運動の高まりの時期と一致するこの時代は、しかしながら、日本では一九七二年に、いわゆる浅間山荘の「連合赤軍事件」が起こり、この事件を契機に、反体制運動が広い支持を得られなくなったとされている(呉智英「連合赤軍の同時代人」による。なお、ここには、死刑囚となったかつての連合赤軍のひとりが、東京拘置所から「朝日歌壇」に毎週のように短歌を投稿・掲載していると報告されている。彼も〈ドラマ〉から〈詩〉の世界に移り住んだのだ)。実際、事態は急速に収拾し、田中内閣の高度成長時代に入り、以後長い平穏な時代が来ることになる。そして、一九九〇年に東西ドイツの統一、翌年にはソビエト連邦の解体。何らかの新しい社会を夢見て現状打破の気運が高まっていた激動の時代に、ベケットは文学の世界の変革者として登場したが、「平和」の到来とともに退場し、奇しくも、「ゴドー」は「社会主義」だと受け入れられたその「社会主義」が失墜した時節に世を去った。

 現在、ベケットの芝居は劇場でどのように見られているか。たとえばシェイクスピア劇を見る現代の観客の意識が、エリザベス朝観客の第一次体験とすでに異なっているのは当然で、いかにシェイクスピアが「われらの同時代人」(Kott)ではあっても、「シェイクスピア」だから見に行くという、伝統芸能的な参加の仕方も実際には多いだろう。それはそれで上演の洗練化に寄与する面もあって、否定はできない。しかし、かりにベケットの『ゴドー』が、現在、シェイクスピア劇と変わらない古典性を持たされてしまっていたら、ことベケットに限ってこれは由々しき事態なのではないか。そして、おそらく、あの「大層な退屈」の繰り返しに、みながわけ知り顔に耐えているという事実は、その懸念を現実のものにする。反演劇の担い手としてラディカルに登場したベケットの『ゴドー』が、しかし、その名声とともにそっくりそのまま伝統芸能になりつつある、のではないか。「名づけ得ぬもの」を生涯の命題にしたベケットであればこそ、自分の劇が「ベケットの劇」という名づけを通して見られているこの現実を知ったらどうだろう。

 虚心坦懐に、いま、『ゴドー』を見る。『ゴドー』は、いまもあの『ゴドー』か。答は、残念ながら、否だ。『我が家は楽し』を懐かしの名画としてほほえましく見るのとほぼ同程度に、『ゴドーを待ちながら』はもう過去のものとなってしまった。待っていれば何かが来るかもしれないと信じられたあの時代にこそ、じつは来ないという舞台からのメッセージが衝撃的だった。待っていても何も来ないことを知ってしまった現代、何故にあえて劇場まで足を運んでそのことを繰り返してもらわなければならないのか。無力感と倦怠感のみが蔓延するいま、名実ともにベケットは死んだ、と言って語弊があれば、演劇の時代は終わった、と言わざるを得ない所以である。

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