サイバースペースのシェイクスピア

 

                  加藤行夫

 

 

 

 お堅い『英語青年』100年の歴史のなかで特筆すべきことのひとつは、他の類誌に先駆けてコンピュータおよびインターネットの話題を登場させたことだろう (加藤行夫・境野直樹「インターネットと文学研究」1995年6月号)。ときの編集長の勇断はあまねく感銘を与えたが、その後わずか1、2年のうちに続編とも言うべき情報が次々と寄せられ、果ては「コンピュータ三題」などという特集まで組まれて、これは編集長の悪のりではないかと危ぶまれたほどだった。

 ときはあたかもサイバネーションの時代、小難しいシェイクスピアも例にもれず、いち早く教育の現場でマルティメディアが活用され、一昨年にロサンゼルスで行なわれた第6回国際シェイクスピア会議では、シェイクスピア劇の上演過程にユーザを多角的に参加させる CD-ROM の開発も発表された (Lizabeth Goodman, "Creative Imagination and Media-assisted Learning: Shakespeare in Performance." Literary & Linguistic Computing, 12:4. 1997. 259-68)。ごく最新のインターネット情報としては、仮想空間に作られた教室のなかで世界規模の相互交流をはかりながらシェイクスピアを学ぶ "CyberShakespeare" というサイトも現われた (http://cybershakespeare.ola.edu.au/)。筆者が最近秋葉原の裏通りで入手した出色のソフトは、イギリス製の "KARAOKE Macbeth" で、アニメーション・ドラマのなかの好みの配役をマウスでクリックすると、その人物の台詞が字幕で示され、声だけ自前の「カラオケ」版『マクベス』が展開する、といったものだ (Animated Pixels Ltd, 1993)。

 わが日本シェイクスピア協会でも、学会セミナーにおいて「コンピュータとシェイクスピア研究」 (境野直樹=コーディネーター、赤間亮=歌舞伎研究、岡本靖正、加藤行夫、草薙太郎、鈴木英夫、鳴島史之、1996年10月20日、立命館大学) という斬新なテーマが企画され、いままでの研究の閉塞状態を一挙に打開してくれるのではといった楽天的な期待の雰囲気まであった。事実、そのセミナーは、歌舞伎上演目録のデータベース作成方法がエリザベス朝演劇に対しても有効な方向を指示したり、作者同定のためのデータ解析の問題が論じられたりした画期的なものだった。だが、そこでも確認されたように、コンピュータはひっきょう道具でしかなく、いわば書き味の良い万年筆にすぎない。熱に浮かされていつまでも万年筆談義ばかりをやっているわけにはいかない、その万年筆で何が書けるかが問題なのだという、極めて当たり前の事実に行き着いた次第。

 コンピュータで何ができるか。おそらく言語学等の領域では、コーパスの作成など、はるかに早い時期に実質的な利用を進めていたのだろう。文学研究においても専門分野によって事情はさまざまなので、以下の報告はひとつのケーススタディとご理解いただきたい (また、説明の便宜上、本稿では筆者自身が実際に関与している例を多く選ばざるを得なかった僭越さもお許し下さい)。

 昨今のシェイクスピア研究において、まず注目され始めたのは、膨大な量のデータを瞬時に解析するコンピュータの能力で、とりわけテクスト情報に対する縦横の検索は、従来のコンコーダンスにすらできなかったこと──たとえば "kiss" と "kill" とが前後3行以内の近さで共起する例をすべて探すとか──を可能にしてくれる。これを推し進めると、これまで人知の及ばなかった世界まで見えてくるかもしれないのだ。成否の判断は別として、テクストの作者同定を巡る議論から、その好例をひとつだけ挙げておこう。

 かねてより Donald Foster は、1612年に刊行された作者不詳の「挽歌」("A Funeral Elegy" by W. S.) が実はシェイクスピアの手になると主張し、その根拠に電子化されたテクスト群を用いていた。同時代の文学作品を網羅したデータを広く検索し、「挽歌」で使用されている言語の特徴 (たとえば "opinion" や "who" などの特殊な使い方) が、まさしくシェイクスピアの (そしてシェイクスピアのみの) それと照応すると言うのである。照応という概念をどこまで厳密にできるかが問題だが、確かにこのような方法をとれば、OED のページを目で追って数少ない固定的な事例を探し当てるより、言語のダイナミズムの共時的・通時的な実態に迫り得るだろう。

 さらに、数年前より Foster は SHAXICON と称するデータベース (およびプログラム) を作成し、「挽歌」とシェイクスピアの他の作品との、より確かな相関関係を立証しようとしている。その際、重要な鍵になるのは「使用頻度の少ないことば」 ("rare words") で、Foster の場合、シェイクスピアの全正典で1回以上12回以下しか現われないことば、約18,000語を基準に選ぶ。基本的な原理として、これらのことばは、シェイクスピアの現役時代を通じてまんべんなく使われたものではなく、ある特定の時期に集中して現われるという事実に注目し、時代を横軸に、頻度を縦軸に、分布グラフを描いてみる。加えて、それらのことばが出現 (あるいは再現) する要因として、シェイクスピアが自作を執筆中に見た他の作家の劇、シェイクスピア自身の劇の再演、役者としてシェイクスピアが語ったであろうせりふの部分、といった契機まで考慮してグラフを完成させる。すると、シェイクスピア特有のグラフ曲線は、これまでに判明している歴史的事実を裏づけることになるばかりか、まさに「挽歌」の曲線と合致すると結論を下すのである ("A Funeral Elegy: W[illiam] S[hakespeare]'s 'Best-Speaking Witness'." Shakespeare Studies XXV. 1997. 115-40)。Foster の仮説は、以来、TLS での論争をはじめとして、シェイクスピア学者たちのあいだで賛否両論を巻き起こし、いまだ決着がついていない。にもかかわず、1997年に揃って刊行された3種の1巻本シェイクスピア全集 (Bevington 版、Riverside 改訂版、Norton 版) のすべてに、早くもこの短詩が収録されることになった (個人的な印象だが、文学研究者としては比較的コンピュータに詳しい Foster が、専門用語を駆使してまくしたてたので、よくわからない編者が勢いに押されてしまったのではないか)。果たしてシェイクスピアの作か否か、真偽のほどは将来の研究を待たなければならない。

 さて、舞台を再び日本に戻し、筆者も関わる現在進行中の周辺事情について記しておこう。エリザベス朝の芝居がどのように上演されたかという大問題を解く糸口として、古版本に書き込まれたト書き (stage direction) が重要な役割を果たすだろうことは早くから気づかれていた。しかし、どのようなト書きがどこにあるかを網羅的に調べること自体が至難だったという状況から、岡本靖正 (現東京学芸大学長) を中心に、「パソコンシステムによるエリザベス朝ト書きの研究」という共同プロジェクトが組まれ、1986年度から科研費を得てデータベース作成が開始された (ト書き研究にコンピュータを使うという発案は、当時学芸大学助手だった鳴島史之による)。データは、Annals of English Drama 975-1700 (3rd ed.) と Cambridge Companion to English Renaissance Drama (1990) に記載されたリストをもととし、他の情報を補いながら、1500年から1660に至る約700の現存する戯曲すべてについて、あらゆるト書きが入力の対象となる。データ項目には、作品名、作者名、版、そして原綴によるト書き本文に加え、その場所を示すため、シェイクスピアのフォリオ版のような場合は TLN (Through Line Number、通し行番号)、他は signature (折丁番号)、さらに、ト書きの位置 (行の左か中央か右か)、種類 (アクションを示すものか小道具を示すものかなど) が入力されていった。

 このプロジェクトの進行過程で得られたものは多く、筆者に限っても (コンピュータに触れたこともなかった真面目な学徒が「おたく」と呼ばれるまでに成長しただけでなく)、作成中のデータベースを使っていくつかの問題を考えることができた。たとえば、エリザベス朝の戯曲には奇妙なことに「書く」というト書き ("write", "writes", "writing", etc) が少ない事実に注目し、ハムレットが亡霊の去ったあと何ごとかを手帳に「書く」のは、本当に「書く」のかどうかといった議論を試みた (「『ハムレット』の手帳」『シェイクスピアリアーナ』No.6. 1988. 50-71)。また、東京で開催された第5回国際シェイクスピア会議において (1991年8月16日、共立薬科大学)、このデータベースの可能性について報告したところ、同室で研究発表していた Gary Taylor が後日 The Sunday Times 誌上 (1991年9月22日号) に詳しい紹介文を掲載してくれた (日本はお金があるからできるんだという口調ではあったが)。おそらくはそれを読んだためか、現在に至るまで世界各地より問い合わせが来るようになったが、そのなかから、われわれのト書きデータベースが本格的な研究に寄与した2例を挙げておきたい。

 MacDonald P. Jackson の最初の手紙が届いたのは1993年で、以後数ヶ月にわたってト書きデータの内実について連絡しあっているうち、"others as many as can/may be" というト書きがどこに何回使われているか調べてくれと問われた。それに答えて以後連絡は途絶えたが、2年ほどして Jackson から謝辞とともに1編の論文が届けられた。──Titus Andronicus の第1幕は Peele の作という説がかつて Dover Wilson や J. C. Maxwell によって提起されたが、近年は (「残酷の演劇」ブームとあいまって) 問題は沈静化し、Eugene M. Waith によって代表される立場──Titus Andronicus は (多少他人の手は入っているかもしれないが) 間違いなくシェイクスピアの作という説──に落ち着いている。しかし、テクスト内の証拠 (ト書きと speech headings) を検証すると、この劇の少なくとも第1幕は Peele の作と推論せざるを得ない。──といった論調で、そのひとつの根拠として Jackson が挙げているのが、第1幕に記された "and others as many as can be" (A4v) というト書きなのだ。これは、舞台に人が多数登場するとき、一応主要人物の固有名詞を並べ、あとは適当に「その他大勢」を出せば良いという意味のト書きだが、W. W. Greg が述べているように、こういった書き方をするト書きは端的に作者の手になるもので (作者はもっぱら物語の進行に関心を集中させ、「その他大勢」の具体的な人数や配役等については誰かが「適当に」やってくれれば良い)、したがって、Titus Andronicus のこの部分は foul papers をもとにしていると判断できることになる。そして、Jackson はこのト書きに着目し、Peele が Edward I (1593) でも使っている "other as many as may be" (A2v) は、実は、1576-1642年にわたる期間の全エリザベス朝演劇において、以上の2箇所しか例がないことがわかった (ここでわれわれのト書きデータベースを使った旨、注釈がある) というわけだ。つまり、その頻度の少なさ ("rarity") は、このト書きが唯一 Peele の書き方であると推論できる有力な根拠になると Jackson は主張するのである ("Stage Directions and Speech Headings in Act I of Titus Andronicus Q (1594): Shakespeare or Peele?" Studies in Bibliography, 49. 1996. 134-48)。

 John Jowett から電子メールが届いたのは比較的最近のことで、直裁に要望が述べてあり、Romeo and Juliet の Q1 に Hery Chettle の手が加わっていると論じたいが、その証拠として、ト書き中の以下の単語が全エリザベス朝の戯曲中どこに何回出てくるか知りたい、と単語一覧が (異形とともに) 添えてあった。それらはすべて Romeo and Juliet の Q1 からのものだが、Jowett はト書きの形態よりむしろその特殊な異形 (variants) に関心があるようだった。そこでト書きデータベースを検索したところ、確かにある種の異形 ("curteines", "coales", etc) は Chettle の劇のト書きにしか現われず、その他の単語の出現する比率も含めて結果を Jowett に知らせたところ、それもまもなく論文に結実した ("Henry Chettle and the First Quarto of Romeo and Juliet." The Papers of the Bibliographical Society of America, 92:1. March, 1998. 53-74)。

 このように有用なデータベースは一般公開を急務とするのだが、作成開始からすでに10年以上を費やして完成間近にありながら、実はまだ完成していない。何分にもデータ量が多いということと人手の少なさから、細部の入力ミスを完全に修正するに至っていないのだ。そこで、苦肉の策として、修正作業は続けながら、ともかくも暫定版を仮公開しようと、現在は試験的に筆者のホームページ上に載せてある (http://www.lingua. tsukuba.ac.jp/~cato/)。これにより一般の利用者はデータベースに自由にアクセスでき (password = "eliza")、われわれとしてはその便宜をはかりながら、同時に入力ミスの発見に協力してもらえることがあれば幸いと考えている。

 もちろん、このデータベースにも問題はある。劇の上演を決定するのは、文字通りのト書きによると同時に、せりふのなかに書き込まれたト書き的指示による要素も大きいわけで、それらすべてが相互に関連づけられるデータベースにまで高められれば理想だろう。また、時間との勝負ということもある。われわれが当初、Riverside 版シェイクスピアのト書きを入力し、続いて Oxford 版シェイクスピアを入れているときにフロッピー版の電子テクストが販売された。愕然としてこの共同研究から去った者もいたが、そのようなことは常に起こり得る。Chadwyck-Heaney からは CD-ROM 版の English Drama: Verse & Prose が出されたし (幸か不幸かこれは広く使われるには高価に過ぎ、収録されているデータは網羅的なものではない)、Alan Dessen による「ト書き辞典」が近々刊行されると聞く。しかし、それはそれで歓迎すべきだろう。研究は、一個人の才能と努力次第という面があるのは当然だが、一方アリの巣作りに似て、意志を同じくする仲間との協力、そして、続く世代、次の世紀に託す希望に依るところも大きい。書斎にこもってひとりでできることはたかが知れている。個人が個人であることから脱し得るサイバースペースを讃えたいゆえんである。

  (筑波大学教授)

         cato@lingua.tsukuba.ac.jp