「ベケット劇の〈場〉*」
加藤行夫
序
文学の伝統に対するサミュエル・ベケット(Samuel Beckett, 1906-1989)の根源的破壊は、当初大きな狼狽を巻き起こしたが、いまやそのすべてが新たな古典の創造として広く讃えられるに至っている。たとえば彼の劇作品についても、Julian Hilton は、『息』(Breath, 1969年初演)こそ、演劇を成立させる最小限の必要条件は何かという問いへの明確な解答であったばかりか、ベケットの真髄があのわずか35秒間の舞台で頂点に達したのだと絶賛する。ベケットの Breath は、シェイクスピアが『マクベス』の終幕で主人公に悟らせた "breath" の空しさ(この場合は「ことば」「お世辞」の意味)にも匹敵する豊かな表現性に満ちている、ということになる。(1) シェイクスピア学者として偉大な研究を残した Bernard Beckerman も、その遺稿集のなかで、約15分間ひたすら闇にしゃべり続ける『私じゃない』(Not I, 1972年初演)の光る「口」と沈黙の「聞き手」とが、その位置と動きによって、いかに巧みに観客反応を操作しているか論じている。(2) これら恣意的な数例からも、ベケット評者に共通して見られるのは、ベケットは文学の本質をより深いところで言い当てている、つまり、劇や小説の従来の枠組みが、むしろベケットによって、はるかに高度なものに変えられたと主張する寛大な態度だろう。
ところが、この無条件の崇拝を得る以前の、ベケットのデビューが、当惑ないし無視によって迎えられたのも周知のことである。一例だけを
Jan Kott
の報告からうかがうと、パリ初演(1953年)のあと、1956年初頭、ポーランドのワルシャワで上演された『ゴドーを待ちながら』(Waiting
for Godot, 以下『ゴドー』と略記)(3)
が、先入観を持たない観客によって冷やかに拒否され、2幕構成のこの劇の半ばでほとんどが席を立ってしまったという。実際、Kott
自身がこの劇の意味を飲み込めず、「のどにつかえた」と告白し、ときの劇評に「素晴らしさ一歩手前の退屈」(Nearly
Brilliant Boredom)と書いたと回顧している。(4)
以後2週間にわたって劇場はがら空きだったとのことだが、折しも、第20回ソビエト共産党大会でフルシショフがスターリン批判をしたその演説文書がすみやかにワルシャワに届き、それとともに『ゴドー』の前売り券が、開演3週間目にして、たちまち売り切れ始めた。(5)
待つべき「ゴドー」は socialism
だ、と一挙に了解され、受け入れられたという次第で、その種のエピソードは、各地の『ゴドー』初演に必ずと言ってよいほどついてまわる。おそらく、このことから言えるのは、作品の価値は常に時代性ないし状況に支えられたものであるということ、ベケットの意味も天才ベケットの慧眼としてのみ読むのではなく、あくまでわれわれの時代のなかで、われわれ自身が付与したものとして読まなければならない、その限り、当然ながら、ベケットの作品を安易に古典に祭り上げないで、絶えず現在形で虚心坦懐に読み直してゆかなければならないこと、などを教えてくれる。(6)
ベケット体験
『ゴドー』のフランス語による初版刊行が1952年、そして現在に至る40年間のちょうど半ば、1970年代の「ベケット体験」について考えるとき、70年の日米安保条約改定を前後にした全国的な学園紛争の、いわゆる反体制運動を無視することはできない。それは既存の制度に対する改革ないし破壊を外部的に志向しただけでなく、個人の内面では、何をしてよいかわからない不定形な日常のなかで、生きることの明瞭な意味や実感できる時の流れ、あるいは確かな関係性といったものを実存的に模索させていた。当時の若者たちがごく自然に演劇に引かれていったのも、このような確かさを、疑似的にもせよ、みずからの手で作り上げようとしたことの必然の帰結だったと言えるだろう。そして、実際にはゼロから物語なり世界なりを構築することがいかに難しいかを痛感させられていたとき、『ゴドー』との遭遇は大きな衝撃だった。何であれいずれ何かが起こるであろうことを自明の前提とし、また現実にも劇的にもそれを期待していたわれわれは、何も起こらない演劇に、あるいは演劇の不在に、根底から驚かされたのだ。それは、漠然と予感はしながらもこれまであえて目を背けていた負の世界との強引な直面であり、それこそが現実そのものの姿であることを否応なしに知らされたわれわれは、それゆえかえって、ベケットのせりふのひとことひとことに自分たちの不安や焦燥を重ね合わせることができ、皮肉なことにそれが極めて演劇的な喜びをも与えてくれることになった。開幕冒頭の「どうにもならん」(英語版の "Nothing to be done"、フランス語版の "Rien a faire" は、「演ずることは何もない」とも読める)(7) から、終幕まぎわの「わたしは眠っているんだろうか? あす、目が覚めたとき、きょうのことをどう思うだろう? 友だちのエストラゴンと、ゴドーを待ったって? しかし、そのなかに、どれだけの真実がある?」(8) に至るまで、そこに目の当たりにしたのは、まさにわれわれ自身のなかに鬱屈し、絶えず発現の機会を狙っていたはずのことばだった。
折しも、鈴木忠志率いる早稲田小劇場の『劇的なるものをめぐってU』(1970年)の舞台では、ひとりの男が一生懸命に靴を脱ごうとしながら、「どうにもならん」と嘆いていた。演劇好きの若者たちの間で『ゴドー』はすでにここまで自然に浸透し、観客の『ゴドー』理解を前提にしたこの引用ないし翻案という手だては、まさに古典作品に対するそれと同格の域にまで達していた。(9)
別役実のまとめ方によれば、1960年代から70年前後は方法論を過剰に意識した時代で、それが既成の体制を疑わせ、また演劇とは何かということをまともに問題化しようとして不条理劇を生んだ。(10) いわば外的にも内的にも演劇の時代だったわけだが、社会運動と演劇活動とのこのような共起ないし連動は、歴史のなかで間歇的に生起する現象のように思われる(『ゴドー』が書かれた年に、日本で「血のメーデー事件」と前後して起こった「東大ポポロ事件」も<劇団>ポポロ座を背景としていた)。あるいは、現実の空間を演劇的に演出することが可能となる特殊な時代がときどき訪れると表現してもよいだろう。当時の象徴的な芝居に、寺山修司主催の劇団「天井桟敷」が行なった『ノック』(1975年)という市街劇があり、東京都内数カ所の街頭で多発的かつ偶発的に一般市民を巻き込んで芝居を起こすというものだが、これが可能だったのは、それをひとつの「芝居」と認めるほどに均質な演劇意識をすでに社会の側が持っていたからとも言える。(11)
時代の思潮を強引に概括してしまえば、60−70年代を席巻したイズムは、政治的にはマルクス主義、個人の内面レヴェルでは実存主義で、世界は「名づけ得ぬもの」で満ちていると喝破したサルトル(Jean-Paul Sartre, 1905-1980)の哲学に感動していたわれわれは、いまにして思えば、同じく「名づけ得ぬもの」にこだわり続けたベケットをサルトルの同胞として素直に受け入れることができたのだった。ほぼ同じ時期に生き、死んだこのふたりの思想家の、しかし決定的な違いは、人間の「主体」のとらえ方にあるだろう。サルトルは素朴に主体性というものを信じ、「投企」(projet)なり 「参加」(engagement)なりによって、名づけ得ぬ世界を名づけるのは「わたし」だと主張する。そして、その「わたし」とは「わたしが未来に向けて創るところのもの」であると健やかに断言する。−−「人間は彼自身の投企以外の何ものでもない。彼は自己を実現するかぎりにおいてのみ存在する。」(12)
これに対してベケットでは、「主体」そのものの揺らぎが問題にされる。名づけるべき「わたし」が、もとより名づけられていないし、名づけられる見込みもないのだ。語ることが定められていないのだから何でも語り得ると楽観するサルトルとは反対に、ベケットにとって、「語るべきことはほとんど残されていない」と始まった短い Ohio Imprompu(『オハイオ即興劇』、1981年初演)の最後のつぶやきのように、「語るべきことは何も残されていない」。(13) オプティミスト・サルトルに対置されるベケットのペシミストとしての系譜は、Steven Rosen が詳しくたどるところだが、そこではセリーヌやカミュがベケットの先輩とされ、しかしそのだれよりもベケットが深いペシミズムをたたえていた、と述べられる。ベケットは、いっさいの救いを拒絶するばかりか、拒絶することによって得られるであろう何がしかの満足をも拒絶しているのだから、というのがその理由だ。(14)
ペシミストの方がより本質を見抜いているという暗黙の了解があるためか、サルトルの思想は急速に人気を失っても、ベケットのノ−ベル文学賞(1969年)は納得され、その授賞の推薦文は「ニヒリズムの背後にある深い人間理解」といった類のものだった。ともあれ、主体の崩壊をいち早く察知していたベケットが80年代以降のポスト構造主義を先取りしていたのは確かで、今後も新しい批評の方法論の試金石としての出番が絶えることはないだろう。たとえば、Adrian Page が編纂した最近の論文集では、バフチンやフ−コ−との関連でベケットが扱われ、(15) Bennett Simon の著書や Joseph Smith の論集は、精神分析による作品解釈の可能性を探っている。(16) ベケットの作品によく指摘される「反復」という現象も、フロイトの言う「反復強迫」から考えてみるのはおもしろいかもしれない。フロイトは、恐ろしい体験をしたあと繰り返しそれを夢に見る外傷神経症の患者に注目し、夢は願望充足であるというテーゼと矛盾するこの事実を説明するために、「快感原則の彼岸」のなかで「死の欲動」(タナトス)という概念を導入した次第だが、(17) 『ゴドー』始めベケットの諸作品における「反復」を、やはり繰り返しほのめかされる「死」に結びつけることは、あながち無謀ではないかもしれない。(18) ただ、Simon が Endgame(『勝負の終わり』、1957年初演)からベケットの家族構造を詮索するように、結局のところ「ベケット体験」ならぬ「ベケットの体験」という個人史に帰着せざるを得ないところが、ベケット文学を前にした現在の精神分析的方法の限界だろうか。
すぐれた思想家は時代を超えるのは確かだが、しかし、再度確認しておかなければならないのは、「ベケット体験」を成立させた時代の特殊性という事実である。ベケットを日本に紹介した「第一世代」の人たちは、ほぼ『ゴドー』のパリ初演のころに学生時代を送っていることになるが、震源地のパリから日本まで津波が届くのにタイムラグがあったはずで、おそらく彼らは60年安保の前後にその洗礼を浴び、さらにその余波が70年安保まで引き延ばされて、当時学生だった「第二世代」に及んだのだろう。だから、「第一」「第二」とは言っても、「ベケット体験」ということでは、その連続する約10年を仮に「ベケット時代」と名づければ、始めと終わりという違いはあっても、両者は同じグループに属する。(19)
そして、社会運動の高まりの時期と一致するこの時代は、72年にいわゆる「連合赤軍事件」が起こり、この事件を契機に、反体制運動は広い支持を得られなくなったとされている。実際、事態は急速に収拾し、田中内閣の高度成長時代に入り、以後長い平穏な時代が来ることになる。何らかの新しい社会を夢見て現状打破の気運が高まっていた激動の時代に、ベケットは文学の世界の変革者として登場したわけだが、「平和」の到来とともに退場し、奇しくも、「ゴドー」は socialism だと受け入れられたその socialism が失墜した時代に世を去った。無力感と倦怠感のみが蔓延するいま、遺憾ながら、ベケットの時代は終わった、と言って語弊があれば、ベケットの役割は終わった、と言わざるを得ない。
おそらく、ペシミスト・ベケットが意味を持ったのは、サルトルのようなオプティミストがいてこそで、このふたつのイズムはイズムとしては相反するものでも、実はわれわれ個人の生活レヴェルでは常に共存していたのではないか。両者を同時に視野に入れていて、現実行動の可能性を過度に信じるサルトルに疲れたら、虚無と混沌を抱くベケットに泣きつく、といったことを自然にやっていたのではないだろうか。詩に例えれば、サルトルが讃歌、ベケットが挽歌、というように、現実に対する肯定と否定を交互に軽やかに行き来しているわれわれは、しかし、いったん現実世界からオプティミズムが消滅してしまうと、まさにあるがままを描いたペシミズムの文学に耐えることができない。
待っていれば何かが来るかもしれないと信じられた時代にこそ、じつは来ないという舞台からのメッセージが衝撃的だったのに、待っていても何も来ないことを知ってしまった現代、何故にあえて劇場まで足を運んでそのことを繰り返してもらわなければならないのか。ベケットは死んだ、と言う所以である。(20)
劇的なるものをめぐって
1991年10月に東京のグローブ座で上演されたコンパス劇団による『ゴドーを待ちながら』が、もはや二幕目の最後まで見続けるに耐えられなかったのは、それを受け止め理解する側の「時代」が、いまのわれわれの内部からすでに失われてしまっているために相違ない。それにしても、同時に上演された Krapp's Last Tape(『クラップの最後のテープ』、1958年初演)にも、およそ「演劇的」と言える要素はなにひとつなく、テクストを読む以上に、観客席では舞台と時間を共有しなければならないという苦痛が伴う。すでにベケット劇では十分に言われているはずのことなのだが、どうしてもあらためて問い正さざるを得ないのは、いったいベケット劇は「劇」である必然性をもつのか、ベケットのモノローグ的な閉塞された世界は、どのように定義し直すにしても、そもそも「演劇的」という概念と共存し得るのか、という疑問である。(21)
アリストテレスは、演劇を構成する諸要素のうち、ミュートスつまりプロットが最も重要であると論じている。反アリストテレスを信条とする不条理演劇であってみれば、劇的なるものの本質として、それに抗するさまざまな代案が出されるのももっともで、『ゴドー』のもうひとりの訳者である安堂信也氏も、『ゴドー』を紹介したごく早い時期に、ベケット劇のアクションの概念がまったく新しいものであることを指摘している。(22) 本稿では、しかしながら、こと『ゴドー』に限ってのみ、伝統的なアリストテレスの範疇で十分か、かろうじてか、「演劇的」であると考え、したがって、ベケットの他の作品については、「劇」と称する以上、決定的な欠陥があるとするものである。
演劇の構造全体を葉の生い茂る一本の樹木に例えると、われわれ観客に表面上の現象として伝達される登場人物のことば(Diction)や、どうやら理解できる人物の性格(Character)ないし思想(Thought)、および視覚効果(Spectacle)や音響効果(Melody)は、樹木の葉や枝の部分に相当する。ところが、それらすべてを支えているのは太い幹で、これがアリストテレスの説明によれば、劇のプロット(Plot)ということになる。アリストテレスは、これを演劇(悲劇)の最も欠くべからざる要素、つまり劇の「生命」であり「魂」であると述べているのだが、(23) さらにこの幹を輪切りにしてみると、なかに樹木の「生命」の源としての髄が息づいていて、これが劇のアクション(praxis / Action)ということになる。もっとも、このアクションについてアリストテレスは何も明言していず、多分に仮説的なものだったため、その定義については諸説がある。(24) ただ、おそらく確かなことは、アクションとは、複数の登場人物の個々別々の行為のことではなく、それらすべてを単数形で司りながらプロットとして実現される劇の動機ないしベクトルのようなものだろう。これは、「〜すること」という動詞の to不定詞で表わすことができ、たとえば『オイディプス王』では「ライオスの殺害者を捜すこと」がそれに当たる。
アリストテレスの演劇論について通常言われていることはこのあたりまでなので、"Nothing to be done"と始まる『ゴドー』など、およそアクションの存在が感じられないベケット劇は、当然、反アリストテレス的ということになるのだろう。ところが、今世紀半ば、フランシス・ファーガスンが、その古典的名著『演劇の理念』のなかで、アリストテレスのアクションの概念をさらに掘り下げている。(25) 出版は1949年で、『ゴドー』がすでに執筆されていたと言われる時期だが、ここではもっぱらギリシア悲劇の祭式性について論じられている。すなわち、「目的」「受難」「認識」という古代の祭式でたどられるプロセスが、『オイディプス王』や『ハムレット』においても繰り返されるという事実を指摘し、それを「悲劇的リズム」と名づけた。ファ−ガスンにとって、ギリシア悲劇のアクションとはこの「悲劇的リズム」のことであり、さらに彼はそのアクションを「心的生命の焦点」("the focus of psychic life") と言い換えている。実は、先程の樹木の比喩はファーガスンによるものなのだが、要するに、劇のアクションとは、何らかの生命力、精神のエネルギーのことで、それこそ、他のいっさいが剥奪されても最後のところで劇を劇たらしめる本質ということになるのである。
ファーガスンの日本語訳者であり、紹介者でもある山内登美雄氏は、この広義なアクション概念を『ゴドー』に援用し、ふたりの登場人物は、来るか来ないかわからないものを、とにかく待っている、という事実において、この最低限のエネルギーの存在を証明すると論じている。(26) 氏はこれを「主体的精神」と呼び、それこそ劇を劇たらしめる決定的要素とみなすのだが、ベケットの『ゴドー』にのみあるこの「主体的精神」が、その後の作品からはことごとく消滅していると指摘する。ヴラジーミルとエストラゴンは「主体的」に待っているのかどうか、そもそも「待つこと」は「主体的」なのか、という疑問に答えるように山内氏が挙げるひとつの興味深い根拠は、フランス語版にだけあって、なぜか英語版では削除されているヴラジーミルのせりふである。−−「もう、行こう」「どこへ? (間) もしかすれば、今晩は、あの人のうちで寝られるかもしれない。暖かい、乾いた所で、腹をいっぱいにして、藁の上で。待つだけのことはある、違うか?」("Ca vaut la peine qu'on attende. Non?")(27) 現状より少しでもましになることを希求するこの切なる願いは、まさに主体的なものだ、と山内氏は続ける。「来ないことが予感されているものを、繰り返し待つということは、言葉の本来の意味の『受動的』態度では決してできないことではないだろうか。(中略) こうして<待つ過程そのもの>のうちには、人間に<精神>と名づけるべきものがあることの、ミニマムだが、しかし、必要にして十分なしるしがあるのではないか。」(傍点原文)(28)
同様の議論は、A. Banerjee による「『ゴドー』における不動の動」という論文で展開されている。終幕、「じゃあ、行くか?」「ああ、行こう」と動かないふたりは、しかし意識において動くのだ、なぜなら、一見何も残されていないように見えるふたりには、実は友情が芽生えたのだから、というナイーヴな論拠ではあるが、前向きの精神性を認める立場においては山内氏に通ずるだろう。(29) 『ゴドー』の「主体的精神」に気づかせてくれた山内氏の説得力ある立場は、だが、「待つこと」の情念を過度に強調して誤解されてはならない。ヴラジーミルもエストラゴンも、待っていることを忘れながら、いい加減に待っているのだ。激しく待つ、あるいは、待ち焦がれる、となると、これはその情念の失墜を予徴する立派な悲劇作品になってしまう。(30)
精神のエネルギーという観点からベケットの『ゴドー』以外の劇を見ると、確かにその希薄さ、ないしまったくの欠如がよくわかる。「終わり、終わりだ、終わろうとしている。たぶん終わるだろう。」と始まる『勝負の終わり』、この密室に閉じ込められたハムとクロヴは、小さな窓から外をのぞくだけで、出て行く意欲すらない。Act Without Words I (『言葉なき一幕T』、1957年初演)では、ひとりの男が舞台に放り出されるようにして登場し、舞台裏から「呼子」が鳴らないと何ひとつ行動できない。「もうそろそろやめてもいいころよ」とリフレインされる Rockaby (『「ロッカバイ』、1981年初演)は深い眠りで終わる。象徴的なのは、前掲『オハイオ即興劇』の最後直前のせりふ−−「考え、いや、考えではない。こころの深み。どんな深みだか誰も知らないところに沈められ。こころの、ではない、こころのない深みに」(傍点筆者)(...profounds of mind. Of mindlessness.)(31)
われわれが漠然とではあるが、常に感じていたベケット劇の反演劇的な、正しくは非演劇的な印象の理由は、この「主体的精神」の欠如という言い方で確かに十分説明されることになる。が、加えて、ファーガスンや山内氏の言う「心的生命」ないし「主体性」について、主体の危うく揺れる現代なればこそ、その依って立つ基盤をもう少し別な視点から確認しておく必要があるかもしれない。およそ現実生活における「主体性」ということばについても当てはまることだが、他と無関係にそれが独自に存在して一身に行動の源泉となっているというより、むしろ逆に、われわれ内部に「主体性」として結実させるのは、実際にはそれを取り込んでいる諸関係の総体であったり、名状し難い「状況」といったりするものであったりする方が真実に近い。演劇においても同じく、アクションがイディアのごとく君臨し、単独に劇の核になっているというより、むしろそのアクションの発現を可能にする〈場〉というものがあるのではないか。逆に言えば、この〈場〉が整わないと、アクションそのものが生まれようもない、そのような前提としての条件があるのではないか。
劇を生成する〈場〉とは、文字通りの「劇場」を含めて、さまざまなレヴェルがあるだろう。(32) 先に論じた時代性ないし受け手の状態もそのひとつだが、ここで強調しておかなければならないのは、むしろ作品の内実に関わるもので、アクションの展開のためには劇が最低限どのような設定を備えていなければならないか、という問題である。それは、一般的に言えば、人間と人間との、あるいは、人間と事態との関係性のことなのだが、具体的には、たとえば「父親と息子との出会い」という〈場〉が、古来より多くの物語の定礎となり、さまざまに続き得るアクションの起点になってきたことを考えればよい。『オイディプス王』にコンプレックスを読むかどうかはおき、(33) 『ハムレット』の復讐劇という側面をいったん忘れ、『セールスマンの死』からアメリカの夢を捨象すると、それらの深層に「父との出会い」という共通の〈場〉が見えてくるだろう。この種の本源的な〈場〉は、現代の映画に至るまで、およそ「劇的なるもの」の現象の背後から容易に発見可能である。(34)
一方、われわれはおよそアクションの欠如した劇というものも知っている。シェイクスピアの『トロイラスとクレシダ』は、トロイ戦争という一大事件を材にとりながら、人々を動かすのはアクションではなく、「(万物を食い尽くす)衝動」("appetite", I.iii.121)でしかない。戦争のさなかであるはずなのに、一向に事態が進展することなく、停滞した時間のなかでアクションは空しく行き場を失う。(35) それを助長するかのように、ここではまた、しばしば「忘却」が語られる。−−「〈時〉という恩知らずの怪物は、〈忘却〉にくれてやる施しものを入れた袋を背負っている」("Time hath, my lord, a wallet at his back / Wherein he puts alms for oblivion, / A great-siz'd monster of ingratitute." III.iii.145-7)(36) 忘れるということの、むしろ不条理劇に近い特性については、昨日のことも覚えていない『ゴドー』の登場人物たちの健忘症を見ればよい。トム・ストッパードの『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(Rosencrantz and Guildenstern are Dead, 1966年初演)でも、同様の症状が蔓延している。−−「忘れてしまっていることすべての次に思い出せるのは何だ?」「ああ、そういうことか。(間)質問を忘れた。」(37) これは、物語内の事情としてあるよりも、物語そのものの成立を危うくし、緊密な持続を前提とするプロットの、つまり劇の「魂」を崩壊に導くものなのだ。(38)
われわれはファーガスンにならって、演劇の根幹としてのプロットを樹木の幹に例え、プロットの核であるアクションをその幹の髄に例えた。そして、さらにいま、アクションを生成させる要因の〈場〉に「種子」の比喩を使って見よう。アクションを欠いた『トロイラス』において、登場人物(サーサイティーズを罵倒するエイジャックス)が「腐ったパン種」("vinewed'st leaven")(39) と口にしているのは興味深い。−−「もう一度言ってみやがれ、この腐ったパン種野郎! きさまの顔を叩きのめして少しはましにしてやろうか」(II.i.14-5) この「パン種」の比喩は、もともと新・旧約聖書で多用されているもので、「信仰」ないし「善行」の意味に使われている。−−「あなたがたは、少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか。(Know ye not that a little leaven leaveneth the whole lump?) 新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。」(「コリント人への第一の手紙」5:6) すなわち、『トロイラスとクレシダ』では、劇を生き生きしたアクションにまで発酵させる「種子」が腐っているか、もともと存在しないのだ。(40)
劇を生成する〈場〉には、また、男と女、社会と個人、といったさまざまな関係が想定され、それらは劇の開幕とともに、物語の「種子」として舞台にすでに植えつけられていなければならない。しかし、ベケットの劇作品からは、このような〈場〉がことごとく排除されている。同じく親子のことであっても、ベケットの舞台上でつぶやかれる「母」はすでに死んでいて、次にいかなる展開の可能性も示さない。Happy Days( 『幸せな日々』、1961年初演)に登場する男と女は夫婦であるようだが、夫の方は始終眠ったままなのだ。また、『ゴドー』のなかでさえ、アクションの「種子」の発芽をことごとく摘み取ってしまうマイナス要因がいたるところに待ち構えている。たとえば、「女たちは墓石にまたがってお産をする。ちょっとばかり日が輝く、そしてまた夜。それだけだ。」(41) というポッツオのせりふは、ベケットが後年『息』で提示する舞台のイメージを端的に表現したものと言えるが、すぐに「また夜」となり、「それだけだ」ということばで決定されてしまうその静止画像ないし心象風景は、劇のアクションとはるか無縁のものであろう。
ところが、ベケットの劇作品のうち、この『ゴドー』に限って、かろうじて「劇」になりおおせていると言えるのは、「待つ」ということが、まさしくこの〈場〉に相当するからであろう。待っていると普通は誰かが来る、そして物語が始まる。待つことは物語の前提条件であり、アクションによって満たされるべき欠如状態そのものなのだ。ベケットが『ゴドー』において「劇」を実現し得たのは、劇を生む「種子」としての「待つ」という行為に気づいたがゆえであり、『ゴドー』においてのみ特殊な「劇」を可能にしたのは、「待つ」という行為しない行為、すなわち〈場〉それだけを舞台に提示し得たがゆえである。
ところで、「待つ」ことを歌った歌が極めて少ないのはなぜだろうか。それは、歌は、本来、ある情感を均質な持続的なものとして、無時間のパッケージに閉じ込めることで成り立つからだ。歌においては、歌い始めたときと、歌い終わるときに事態の変化があってはならない。ところが、「待つ」という行為は、いつ相手が来て終わってしまうか予断を許さないために、たとえば悲しみという情感を凍結させ得る「別れ」などのテーマに比して、はるかに歌の〈場〉にふさわしくないと言えるだろう。つまり、「待つ」ことは、それ自体のなかにすでにドラマを内在させていて、その演劇的指向性は、もとより歌の発生が前提とする精神状態とは相容れないものなのだ。
ここで、「歌」を「詩」、とくに「叙情詩」と入れ替えても差し支えないかもしれない。ベケット劇の詩的要素についてはすでに指摘されているところだが、(42)
ヴラジーミルに「詩人になりゃよかったんだ」と言われるエストラゴンのごとく、処女作が
Whoroscope
(1930年)という長編詩だったベケット自身、詩人になればよかったのかもしれない。『ゴドー』において浮き彫りにされた「待つ」という行為を唯一の例外として除き、なべてベケット劇の登場人物たちが生きている、あるいは生きていない場所は、時間の経過に左右されない均質な停滞、すなわち「詩」そのもののなかなのだ。詩はどのようなときに生まれ、劇はどのようなときにできるか。再び山内氏の説得的な二分法に即して言うなら、「主体的精神」が万能のオプティミズムの世界には、劇はあり得ない。あるのは、詩、それも讃歌。そして、「主体的精神」を失ったペシミズムの世界にも、劇はあり得ない。あるのは、詩、それも挽歌。前半の「ベケット体験」につなげて、これで総括を終えることができるだろう。ペシミスト・サミュエル・ベケットは、『ゴドーを待ちながら』の危うい成功一点を除いて、劇作家ではない、挽歌の世界の住人なのだ。
注
*
本稿は、日本英文学会第64回大会シンポジウム「われわれにとってベケット体験は何であったのか」(1992年5月23日、西南学院大学)において口頭発表したものをもとにしている。司会・講師の川口喬一氏はじめ、講師の高橋康也氏、岡室美奈子氏にはベケット研究の最先端に関して多くを教えていただいた。
(1) Julian Hilton, Performance (Macmillan, 1987), pp. 29-30.
(2) Bernard Beckerman, Theatrical Presentation: Performer, Audience and Act, eds. Gloria Beckerman and William Coco (Routledge, 1990), pp. 129-30.
(3) 以下、『ゴドーを待ちながら』からの引用は、Samuel Beckett, En attendant Godot (Les Editions de Minuit, 1953/1970); Waiting for Godot: A Tragicomedy in Two Acts(Grove Press, 1954/1971); Waiting for Godot: A Tragicomedy in Two Acts (Faber & Faber, 1956/2nd ed. 1965)などの諸版を参照し、日本語訳と頁は、安堂信也・高橋康也訳(白水社, 1967年/改訂版 1990年)を使用する。その他の劇作品は、Samuel Beckett, The Complete Dramatic Works (Faber & Faber, 1986)による。
(4) Jan Kott, The Theater of Essence, Introduction by Martin Esslin (Northwestern Univ. Press, 1984), p. 209.
(5) フランス語版にはヴラジーミルの「スターリン的こっけいだ」というせりふがある。ただし、これは1952年刊行の初版にのみあり、他の版では削除されている。
(6) 同様の socialism を背景にしていても、まったく異なる受容の事例が、中国における『ゴドー』上演の報告に見られる。「人民日報」誌上に『ゴドー』が初めて紹介されたのは 1962年と言われるが、実際の作品は長く一般の目にふれることなかった。文革終了後に、「確信の危機」という思想状況のなかで不条理演劇が一時注目されることもあるが、まもなく「精神汚染一掃」キャンペーンにより強い批判を受ける。『ゴドー』の上演が可能になるのは、ようやく1986年になってからだが、それでも従来の表現形式や思想性との折り合いを多くの点でつけなければならなかった。健全かつ堅実な中国の「社会主義」にとって、『ゴドー』という「荒誕派戯劇」は、「西側の〈現代派〉思潮」を気取るものという拒否反応があるようだ。瀬戸宏「中国の『ゴドーを待ちながら』」(『新劇』1989年7月号)を参照。
(7) 「演劇の死」をもって始まるというこの解釈については、安堂・高橋訳の高橋注(『ゴドーを待ちながら』白水社、1990年、pp. 176-8)を参照。
(8) 同上、pp. 164-5.
(9) 『ゴドー』に喚起されて「待つこと」をモチーフにした劇の例は枚挙にいとまがない。たとえば、若きサム・シェパード(Sam Shepard)は『ゴドー』によって芝居に開眼したと語り、それを摸した『ラ・トゥリスタ』(La Tourista、スペイン語で「旅行者」/「下痢」、1967年)でケントとセイレムというふたりを登場させている。その他、英語圏では、エレン・フォックスの戯曲「待っている女たち」(Ellen Fox, "Ladies in Waiting", in Plays Introduction: Plays by New Writers, Faber & Faber, 1984)などがある。中国では、高行健の『バス停』(1983年)が、『ゴドー』の影響下に、バスを待つ一群の人を通して中国のかかえている問題を描いた(瀬戸宏、前掲報告)。ユーゴスラビアでは『ゴドーが来た』というパロディー劇が上演されたらしい。日本でも、数々のヴァーションがあるが、最近では、3人の老女の追憶に『ゴドー』を織り込んだ劇団「青い鳥」の『ガルボの帽子』(1991年)、いとうせいこうがゴドーの側から書いた『ゴドーは待たれながら』(太田出版, 1992年)など。
(10) 『ベケットと「いじめ」:ドラマツルギーの現在』(岩波書店, 1987年)
(11) これら前衛劇の報告に関しては、扇田昭彦『現代演劇の航海』(リブロポート, 1988年)を参照。
(12) 『実存主義とは何か』伊吹武彦訳(人文書院, 1969年)、p. 43.
(13) The Complete Dramatic Works, pp. 445-8.
(14) Steven J. Rosen, Samuel Beckett and the Pessimistic Tradition (Rutgers Univ. Press, 1976).
(15) Peter Griffith, "Bakhtin, Foucault, Beckett, Pinter", The Death of the Playwright?: Modern British Drama and Literary Theory, ed. Adrian Page (Macmillan, 1992), pp. 97-114.
(16) Bennett Simon, Tragic Drama and the Family: Psychoanalytic Studies from Aeschylus to Beckett (Yale Univ. Press, 1988); Joseph Smith, ed., The World of Samuel Beckett, Psychiatry and the Humanities 12, (The Johns Hopkins Univ. Press, 1991).
(17) Sigmund Freud, "Beyond the Pleasure Principle" (1920), James Strachey, ed., The Standard Edition of the Complete Psychological Works of Sigmund Freud, 18 (Hogarth, 1955).
(18) ベケットにおける「反復」を文学理論の問題として論じたものに、Steven Connor, Samuel Beckett: Repetition, Theory and Text (Blackwell, 1988)がある。
(19) シンポジウムでは、川口・高橋両氏が「第一世代」、加藤が「第二世代」、そして、「現在形で語る」岡室氏は「第三世代」として話を進めたが、これは、現代の小劇場運動を支えてきた劇作家たちに対して俗に言われる世代区分と年齢的にほぼ対応している。
(20) もちろん、「待つこと」が不安とともに心を占める特殊な時代は、「ベケット時代」に限られることではない。文字通り「待つ」と題された太宰治の短編小説(1942年『女性』所収)では、第二次世界大戦の開始という事情のなかで、『ゴドー』のテーマが見事に先取りされている。−−「大戦争がはじまって、何だか不安で、(中略)何かしら、よい機会をねらっているのかも知れない。(中略)一体、私は、誰を待っているのだろう。はっきりした形のものは何もない。ただ、もやもやしている。けれども、私は待っている。大戦争がはじまってからは、毎日、毎日、お買い物の帰りには駅に立ち寄り、この冷たいベンチに腰をかけて、待っている。(中略)私の待っているのは、あなたではない。それでは一体、私は誰を待っているのだろう。旦那さま。ちがう。恋人。ちがいます。お友達。いやだ。お金。まさか。亡霊。おお、いやだ。もっとなごやかな、ぱっと明るい、素晴らしいもの。なんだか、わからない。」(『新ハムレット』新潮社、1974年) ケネス・バークも『ゴドー』にはるか先んじて(1940年代?)、「期待」それ自体にすがる人物をキリスト教的課題のもとで短編小説にしている(Kenneth Burke, "The Book of Yul", The Complete White Oxen, Univ. of California Press, 1968; See his Language as Symbolic Action: Essays on Life, Literature , and Method, Univ. of California Press, 1966, p. 248 note)。
(21) この問題設定に対して、以下の論とはまったく別の立場からベケット劇の特殊性を指摘しているものに、H. Poter Abbott, "Reading as Theatre: Understanding Defamiliarization in Beckett's Art", Modern Drama, 34, 1991 がある。
(22) 安堂信也「反演劇と劇的行動」『演劇學』No. 2 (早稲田大学演劇学会, 1960年)
(23) 以下、アリストテレスの『詩学』からの引用は、Aristotle's Theory of Poetry and Fine Art,translated and with critical notes by S. H. Butcher (Dover Publications, 1951) に従う。
(24) アクションの概念、プロットとアクションの関係については、John Jones, On Aristotleand Greek Tragedy (Stanford Univ. Press, 1962), etc. および笹山隆氏による明瞭な解説(アリストテレス『詩学』、研究社、1968年)を参照。
(25) Francis Fergusson, The Idea of a Theater: A Study of Ten Plays: The Art of Drama in Changing Perspective (Princeton Univ. Press, 1949/1968).
(26) 山内登美雄『ドラマトゥルギー』(紀伊國屋書店、1966年)
(27) En attendant Godot, p. 25.
(28) 山内登美雄、p. 50.
(29) A. Banerjee, "Stir Within Stasis in Waiting for Godot", English Studies, 72;6, 520-529, 1991.
(30) 日本の古典文学には、この種の過度の情念をモチーフにしたものが多い。謡曲の「松風」は、須磨の浦で中納言行平を待ち焦がれる松風・村雨姉妹の亡霊の悲恋で、この「松風物」の系譜にお伽草子「松風村雨」、近松「松風村雨束帯鑑」(まつかぜむらさめそくたいかがみ)がある。また、『平家物語』「康頼祝詞」「足摺」を典拠とする謡曲「俊寛」では、平家討伐を企てて鬼界ヶ島に流された俊寛、平康頼、藤原成経のうち、後二者は翌年大赦により赦免されるが、俊寛のみ残される。悟ろうとしても悟りきれない彼は、悲哀とともにいつまでも鬼界ヶ島で待ち続けることになるのだが、このテーマも、近松「平家女護島」、歌舞伎「俊寛」となって、さらに、菊地寛、倉田百三、芥川竜之介の近代文学にまで引き継がれる。謡曲「班女」(はんじょ)も、遊女花子が恋する吉田少将を狂女となって待ち焦がれ、賀茂神社で再会し形見の扇で確認する話で、三島由紀夫の翻案「班女」(1956年、『近代能楽集』所収)がある。「私は諦めないわ。もっと待つわ。もっともっと待つ力が私に残っているわ。私は生きているわ」−−と三島の花子が言うように、彼らは『ゴドー』の二人と違って激しく待ち続ける。なお、ベケット劇と世阿弥の夢幻能との差異を確認しつつ形式的・構造的類似性を指摘した卓見あふれる論文に、Yasunari Takahashi, "Qu'est-ce qui arrive?: Some structural comparisons of Beckett's Plays and Noh", in Morris Beja, S. E. Gontarski and Pierre Astier, eds., Samuel Beckett: Humanistic Perspectives, Columbus, 1983.(高橋康也「ベケットと能」, 『世界』, No. 438, 1982)がある。
(31) The Complete Dramatic Works, p. 448.
(32) 「演劇とは観客と俳優とが同時に共存するもの」であるとし、彼らは「必ずある〈場〉というものを介して出会う」と言う鈴木忠志にとって、〈場〉とは、持続的・意志的な演劇集団を作ることにつながる(『演劇とは何か』岩波書店、1988年)。
(33) ギリシア悲劇を近代的な精神分析によってではなく、古代ギリシアにそのまま戻して読まなければならないと説くのは、Jean-Pierre Vernant, "Oedipus san Complex" in Mythe et Tragedie en Grece Ancienne (Editions Maspero, 1972). 私見だが、おそらく、特殊なコンプレックスが実体として人間内部に潜在するから『オイディプス王』は衝撃的なのではなく、むしろ、「父と子」の、ないし「母と子」の原初的な〈場〉の最も過激なアクション化が「父の殺害」「母との姦通」というドラマになるということなのかもしれない。日常においてあり得ざるべきことだからこその衝撃にすぎないのかもしれないのだ。だから、そこでは子が親を殺す願望があるか否かが問題なのではない、〈場〉の極限であるなら、『メディア』のように母が子を殺してもよいし、ペルシアの叙事詩人フェルドゥーシーの悲劇のように、父がそれと知らず息子を殺してもよい(この例は、故五十嵐一氏の教示による)。深層心理がドラマとして表現されたのではなく、先に存在したのはドラマ創造そのものへの願望なのではないか。フロイトの解釈するコンプレックスが、その症例の多くを演劇作品・文学作品からとっていることに注意しなければならない。
(34) 「父との出会い」というような普遍性の高い〈場〉を持つために、設定から個々の場面まで作品同士が似通ってしまうことは当然起こり得る。ケヴィン・コスナー主演の Field of Dreams (1989年)という映画は、啓示を受けて自分の農場に野球場を作ることから始まり、野球に対するノスタルジアに支えられた、いかにもアメリカ的な物語だが、生前は果たせなかった父親との和解が野球場に現われた亡霊の父とのあいだになされる。一方、『異人たちとの夏』(1988年)という日本映画も、死んだはずの父母とひと夏を過ごす男の話で、父親とキャッチボールをするという象徴的な場面まで共通している。この同一の〈場〉の底流をなすのは、親子関係の原初性ということだろうが、後者の原作(山田太一)にある主人公のことばが、親と子との本来的にドラマを孕んだ関係といった事情を巧みに表現している。−−「12歳から私はほとんど泣いたことがない。しかし、そのあたり(生まれ育った浅草)を歩いていて、両親といたころを強くよみがえらせるなにかにぶつかったりしたら一瞬のうちに身につけている鎧の糸という糸がちぎれて、素裸になり、みすぼらしくただ泣き崩れてしまいそうな気がした。」(『異人たちとの夏』、新潮社、1987年、p. 37)
(35) See Barbara Everett, "The Inaction of Troilus and Cressida", Essays in Criticism, 32, 119-135, 1982. なお、W. W. Lawrence は、"The Troilus-Cressida theme is essentially undramatic." と述べ、チョーサーのような心理小説にはふさわしいが、舞台には不向きであると言っている(Shakespeare's Problem Comedies, Freferik Ungar, 1960, p. 159)。
(36) 『トロイラスとクレシダ』からの引用は、Troilus and Cressida, ed. Kenneth Palmer (The Arden Shakespeare, Methuen, 1982)による。
(37) Tom Stoppard, Rosencrantz and Guildenstern are Dead (Faber & Faber, 1967), p. 11.
(38) 「忘却とは忘れ去ることなり」のナレーションで始まるラジオ・ドラマ『君の名は』(1952年)では、満智子と春樹は別離後2年間経ってもお互いを忘却することがない。Jonathan Goldberg によると、叙事詩や悲劇が終わりに向かって直進するのに対し、ロマンスでは終わりが常に先伸ばしにされる(Endlesse Worke: Spenser and the Structures of Discourse, The Johns Hopkins Univ. Press, 1981)。
(39) フォリオ版では "whinid'st"、クォート版では "vusalted" になっている。
(40) ジロドゥーの『トロイ戦争は起こらない』(Jean Giraudoux, La Guerre de Troie N'aura pas Lieu, 1935)は、同じくトロイア戦争を元にしたものだが、『イリアス』のアクションの起点を劇化し、「今度はギリシアの詩人(ホメロス)が語る番です」と終わる。ここでのエレーヌ(ヘレネ)は、責任能力のない、受動的、無自覚な女とされ、愛してもいないパリスに従ったという設定にしてある(Theatre, Tome I, Grasset, 1954)。
(41) 安堂・高橋訳、p. 163.
(42) たとえば、Martin Esslin, The Theatre
of the Absurd (Penguin Books, 1961/rev.
1968)、高橋康也『サミュエル・ベケット』(研究社, 1971年), p.120
など。
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(本文中引用しなかったが重要な関連文献)
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